散文ブログ『ちりぶみ』
数名による持ち回り創作ブログ。4のつく日(4・14・24)更新。
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鬼が来たりて餅を食う 【前篇・中篇】   (2007/02/05)
【前篇】

節分での豆まきという行事は、日本ならではの行事だと言える。そもそも“鬼”という存在は、日本と海外(というか中国)とでは扱いも存在意義も違うわけで、その“鬼”を追い払い、新しく始まる一年(暦上では立春の前日、つまり春に変わる前日に豆まきは行われる。春夏秋冬が新しく始まる前日、という位置付けなのだ)の無病息災を願うための豆まきは、日本独特と言っても過言ではないだろう。
「鬼は~外~! 福は~内~!」という掛け声はあまりにも有名で、かつ「撒いた豆を自分の歳の数より一つ多く食べると身体が丈夫になり風邪をひかない」といった習わしも伝えられている。子供にとっては夢中になる行事の一つであり、誰でも幼き頃に興奮しながら鬼の面を被った大人(多くの場合は幼稚園や小学校の先生や親戚のおじさんが多かった)を追い掛け、豆をぶつけた思い出があるのではないだろうか。

近年では、これまでの節分で恒例だった福豆などといった豆類の他、「恵方巻」なる寿司も登場し、店頭を賑わせているが、この「恵方巻」、実は一地方(一説には大阪の商人?)のみのものだったものを、某大手のコンビニが全国展開し、現在のように人気が出たという。
伝統行事も今では商品戦略によって左右されるというのも、よくよく考えてみると面白くもあり、寂しくもある。

さて、2月3日には全国各地で節分祭が催されており、大きな神社などでは芸能人やスポーツ選手、国会議員など有名人をゲストに迎え、イベント化されているが、筆者が一昨年に偶然遭遇した筑波のお祭りも、強烈な印象を筆者に与えた。


その日、偶然にも筑波の友人を訪ねた筆者は、「ちょっくら山に登るか!」と軽い気持ちでその友人と共につくば山への登頂を開始。男体山、女体山などの名所を見学し、山を下りていたのであるが、その際に通りがかった神社にて、節分祭が催されることを知り、せっかくだから参加してみようと、開催時刻まで境内で待つことにした。

開始時刻が近づくにつれ、境内には所狭しと地元の住民が集まってきた。神社が似合う老夫婦もいれば、動物園などに居そうなファミリー(小さい子供が父親に肩車をしてもらっているような、典型的な家族連れ)、およそ神社には不釣り合いな地元のヤンキーの姿も見える。その光景に、我々も興奮しつつ始まりの時刻を今か今かと待っていたのだが、ふと友人があることに気付いた。
何故か皆、ビニール袋や段ボール箱といったものを手に携えているのである。それこそ老夫婦からヤンキーまで、皆手にしているではないか。いったい何故?

訳の分からぬ我々二人をまるで取り囲むかのように、周囲の人垣はどんどん増え、そして開始時刻も刻一刻と近づいていく。そして遂に開始時刻を迎え、神社の壇上にはつくば市の市長及び市議会議員、神主、地元のゲストなど10名近くの人々が紋付き袴で位置に着いている。
司会のおじさんの掛け声と共に、遂に祭りが始まった。そしてその刹那、我々は皆が手に持つ意味を知ったのだった。

「それでははじめ!」

開始の合図が会場にこだますると、壇上の人々(以下、便宜上“豆撒き人”と記す)が境内の人混みに向かって物を投げ込み始めた。
「鬼は外、福は内」なんて掛け声をしていたのもつかの間、境内の観客からの「こっちに投げて!」「市長、こっちこっち!」などという声に触発されたのか、豆撒き人達は声のする方に向かって懸命に物を投げ入れる。そしてその投げ入れられた物を、観客は手にしたビニール袋や段ボール箱を上空にかざし、玉入れの容量でうまくキャッチしていく。
肩車をした子供を使い、より高いところを位置取りした父親は、周りから「卑怯だぞ」と罵倒され、開始前までは涼しい顔で佇んでいた化粧がバッチリ決まったお嬢さんは、髪を振り乱しておばさん達と取り合いをしている。おばさんも負けじと奇声を発しながら奪い合う。さながら漫画のバーゲンのワンシーンのようであるが、場所は神社の境内で、上から降ってくる物は、カップラーメンやら駄菓子やら餅やら、ワンコイン出せばどこでも買えるような物ばかり。

それなのに周りの人々ときたら、あたかも小判をばらまく鼠小僧に群がる町民のように、必死になって取り合っている。

あまりの光景に呆然とした筆者に、杖をついた老人が倒れかかってきた。必死に抱きかかえ救出する筆者。まさかライブのモッシュで培った救出法を、神社の境内でしかも老人に対して使うことになるとは。人生いつ何が役に立つかなんてわからないものだ。そう感慨に耽る間もなく、せっかく救出された老人は、またも人混みの中へ、自らの意志で飛び込んでいった。

ある意味「阿鼻叫喚」のような光景を目の当たりにし、我々は呆然と立ちつくすものの、後からは人の波が途切れることなく押し寄せる。とそこへ議員の投げたチャルメララーメンの袋がふわふわとまるで舞い落ちるかの如く飛んでくる。ふと気付くと、伸ばした手でラーメンを掴んでいた。反射神経と言うべきか、周りに影響されて必死になってしまったと言うべきか、かくして筆者も一つめの成果物を手にすると、何故かその後も駄菓子や餅を取ることが出来、なんだかんだで終了時には友人と合わせ5つほどの食料品を獲得していた。

「止め~!」という司会の言葉が会場に響くと、周りの人々はようやく我に返ったかのように一瞬動きを止めると、すぐに楽しげな顔を浮かべた。それまでの必死な顔(人によっては鬼のような形相だった)がまるで嘘のようだ。そしてついさっきまで押し合いへし合い、喧嘩の如く振る舞っていた隣人達と、「いやぁ今年も楽しかったわねぇ」と和気藹々と会話をしている。
そうなのだ、地元の人々にとっては、このイベントこそ“お祭り”なのだ。年に一度、地元の人々が一体化して皆で楽しむ。そんなイベントだったのだ。

そう理解した我々は、「よそ者は早めにおいとまするか」と思い立ち、足早にその場を立ち去って山を下りたのだが、あのある意味想像を絶する光景と、物を獲得した瞬間の周りからの殺気だった目線(老人のガン飛ばしを初めて経験した)は、未だ忘れられず、今でも節分で豆撒きをしている光景がテレビなどで放送されていると、その出来事を思い出すのだった。
体験してみたい方は是非、節分の日につくば山の神社へ足を運んで欲しいものだ。


このように、場所によっては節分の豆撒きがイベント化していたりする。特殊な祭りという点では、例えば埼玉にある鬼鎮神社など鬼にまつわる場所だと「鬼は外」ではなく「鬼は内」という掛け声になり、浅草や祇園などでは「お化け」と呼ばれるコスプレが披露される。その場所、その場所で様々な楽しみ方、過ごし方が出来るのも、豆撒きのユニークな点なのかもしれない。

とここまで、「節分の豆撒き」という題材で筆者の経験談も含め、つらつらと書いてきたが、最も興味深い文献が手元にある。
それは、筆者の恩師でもある、民俗学者・蓮見礼次先生が沖縄のとある地方における風習・風俗と、それにまつわる事件を書き綴ったノートだった。


【中篇】

私がその島を訪れるきっかけとなったのは、私の講義を受講している学生・宮良くんの興味深い話だった。宮良くんは、節分にまつわる日本の習俗についての講義の後、地元の島で行われる節分の祭り(宮良くんは「儀礼」という言葉を使ったのであるが)について話してくれたのだ。その話を聞き興味を覚えた私は、今年その祭りに参加するために島へ戻るという宮良くんの言葉に甘え、その島を訪れることにしたのだった。

宮古島と石垣島のちょうど真ん中辺りに位置するその島に着いたのは、2月2日のことであった。フェリーで小さな漁港に降り立つと、宮良くんが私を出迎えてくれた。節分祭は明日ではあるが、その前に島のことを調査しようと、私は一日早くこの島を訪れたのだ。さっそく私は宮良くんに連れられ、宮良くんの実家へお邪魔した。今晩は宮良くんとそのご家族のご厚意で、宿泊させていただくことになっていた。

そして私は、件の祭りに詳しいという宮良くんの祖父から話を聞くことにしたのだった。

齢90歳を数えるというそのご老人の話は、私にとって非常に興味深いものだった。そもそも沖縄の習俗として「節分」というものは無いので、その節分祭があるだけでも興味深いものだが、祭りの中身やその言い伝えから推測するに、沖縄の島々の習俗を紐解く上で重要な手がかりがあるのではないかという気がしてきたのだ。その話とは、このような内容であった。


立春の前日に、「節分祭」を行う。ムークイと呼ばれるその「節分祭」は、ニライカナイ(沖縄の方言で桃源郷のこと)へと続くと言われる島の南東の浜より、鬼の付き人役(=ムントゥと呼ばれる)が列を作り、目に見えぬ鬼の神を手招きする踊りを踊りながら島の中心部にある御嶽(ウタキ。沖縄の聖域)まで行進する。島民はそのムントゥの行列の横について歩き、島民のほとんどはその一行と行動を共にする。ムントゥは体中を藁で覆い、その藁に泥を塗りたくり、顔には異形の面を被ってガジュマルの樹で拵えた杖を持つ。
中心部の御嶽まで進んだ後、ムントゥ達は浜から招いた鬼の神を大岩の上に座らせ、その周りを円を描きながら踊る。踊りを終えたムントゥは、御嶽に集まった島民達を、手に持った杖で一人ずつ小突き、そして身体の泥を塗りつけながらまた踊り続ける。
その一連の流れが終われば、ノロ(神女)役が大岩の台座に月桃の葉で蒸した餅を捧げ、舞いを披露し、その後は島民で歌を歌い締めくくる。これがムークイの中心となる一連の儀式である。
この儀式が終われば、ムントゥは島内を歩き回り、家々の家門に泥をつけていく。時には家畜や作物をも泥で汚しながら、島内を一周し、来た場所である南東の浜まで戻り、最後は進めるところまで沖に向かって歩きながらムントゥ達は身につけている藁と面、杖を海へと流す。その頃になると夕刻で、真っ赤な夕日を背にしながら沖へと流した品々が見えなくなるまで島民は見送り、最後に鬼に供えた餅を皆で食べ、祭りを終える。
この祭りムークイは島の平和と豊年、無病息災を願い毎年行われるもので、中でも50年に一度は大祭を行い、島を挙げて行うと決められているという



宮良老人の話によれば、ちょうど今年が50年に一度の大祭であり、そのためにわざわざ宮良くんも帰省させ、祭りに参加させるのだという。
老人の記憶では物心がついたころからムークイは行われており、戦時中に一度中止した以外は毎年必ず行ってきたといい、年に一度、島を上げての行事となるため、過疎化が進むこの島にも、一時的に活気が戻るのが、現在のムークイの意義でもあると、老人は宮良くんの顔を見ながらしみじみと語ってくれた。

「先生、やはりこの祭りは特殊なものなのでしょうか?」
宮良くんの問いに、私はうなずく。老人との会話を終え、私は宮良くんに島を案内して貰っていた。
「私が思うに、この島の習俗はかなり特殊なのではないだろうか。老人から聞いた内容を踏まえると、この島の周りにある島々、宮古島や石垣島の祭りの影響も受けていると言えるし、『節分祭』という考え方自体は本州の考え方だと言える。この祭りがいったいいつ、どのようにして始まったのか、非常に興味ぶかいところだよ」
「宮古島と石垣島の影響といいますと、アカマタなどの来訪神やパーントゥなどでしょうか?」
「そうだねえ、アカマタ、クロマタ、シロマタといえば西表島に訪れる来訪神だけれど、異形の面を被り村々を回るというのは共通しているね。石垣島にもマユンガナスと呼ばれるニライカナイからやってくる神がいて、面は被っていないけれど大きな杖を持っている。宮古島のパーントゥは仮面を被って泥を塗り、シイノキカズラを体中に巻き付けて化けるのだから、ムントゥと瓜二つと言っていいんじゃないだろうか。家や通行人に泥を付けて「役祓い」とするのも、共通していると言えるね。ただ一つ異質なのが、“鬼”という存在の扱いなんだ」

我々は、祭りで鬼を招き入れる御嶽に到着した。御嶽の側には、巨大な岩がその存在感を示している。おそらくその岩は、数百年前にこの一帯を襲った「明和の大津波」で島の中心部まで打ち上げられたのだろう。「明和の大津波」では、この周辺の島々のほとんどは、津波に飲み込まれ、当時大勢の被害者が出たというのは、琉球の歴史の中の一頁である。
岩は風化し、崩れ落ちるかのような部分もあるものの、その大きさから見れば微々たる物で、碁石状の形の上に、座した鬼の姿を容易に想像させるような神々しさも持ち合わせていた。ムークイではこの岩と御嶽の周りを島民で囲み、舞いや餅を捧げるのだろう。

その岩を眺めながらも、私と宮良くんは会話を続ける。
「確か、沖縄には鬼を神として崇める習俗は無いんでしたね」
「そうなんだ。沖縄に、というよりも日本全部を見渡してみてもほとんど無いからね。昔から日本人にとって“鬼”という存在は、忌み嫌う存在だというのが定説なんだ。沖縄でも鬼にまつわる民話は残されているものの、神として崇めるどころか、神の使いとしてもその存在はないし、逆に人を食う恐ろしい存在として伝えられているからね。今でも本島に慣習として残っている“ムーチー(鬼餅)”の逸話がそうだよ」
「そういえばムーチーとの共通項もムークイにはありますね。“鬼”と“餅”の組み合わせで、供える餅も月桃の葉で蒸していますし」
「そう、この島は近隣の宮古、八重山地方どころか、沖縄本島の習俗をも影響として受けているんだ。そこがやはり私には異質に思えるんだよ」
「僕は幼い頃からこの祭りを見て育ったもので、特異性にはなかなか気付かなかったのですが、先生の講義で沖縄には節分祭が無いと知り、興味を持ったのです。ちょうど祖父からの頼みでもあったので、思い切って今年の祭りに参加することにしたものの、いざ参加するとなるとなかなか難しいものですね」
「宮良くんは確かムントゥとして参加するんだったね。ムントゥはこの祭りの重要な役割を担っているわけだから、有意義なことだと思うよ」
「そうですね、これまで簡単ながらも指導を受けましたし、本番は明日ですから、良い経験だと思って楽しみたいものです」

御嶽と大岩を後にした我々は、ニライカナイへと続くと伝えられている南東の浜へと向かった。しかしそこで私は、残念な光景を目の当たりにしたのだった。それは、一人の民俗学者として、決して容認できぬような光景だった。
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テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学




この記事に対するコメント

後篇のご案内
4日に間に合わず申し訳ありません。
ガラッと舞台が変わる後篇は、8日にアップ予定です。
【2007/02/05 23:12】 URL | 仁礼小一郎 #-

中篇のご案内とお詫び
筆者です。掲載予定が大きく狂っております。
本日中篇をアップし、後日また後篇をこちらの記事でアップします。
「4日」という約束事が全く意味をなさない状態で、明日にはこさめ嬢の作品が載ると思いますので、その邪魔をせぬよう、後篇が完成した時点でこちらの投稿でひっそりと続きを載せますので、ご興味の続く方はもう暫くお付き合い下さいませ。
【2007/02/13 23:58】 URL | 仁礼小一郎 #-


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