散文ブログ『ちりぶみ』
数名による持ち回り創作ブログ。4のつく日(4・14・24)更新。
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夜の風   (2005/10/27)
 公園通りの銀杏並木が色付き始め、朝夕はめっきり寒い。もう少しすると、遠くに見える山々もうっすらと雪化粧をするだろう。公園通りは見通しの良い直線を描いている。周囲には新興住宅地が建ち、在来線の駅舎が取り残されたように古さを際立たせている。新興住宅地に合わせて、近郊大型店舗が点在している。数年前までは山のふもとの畑ばかりの土地だったが、週末にもなれば中心市街地よりも賑わう町になってしまった。この公園通りを抜け細い急カーブを左に曲がると、まだ緑の生い茂る山の景色が残り、その先のさらに細い道を右に入っていくと、比較的新しい外観の病院がぽつんと姿を現す。聡美は最初にこの病院に来たとき、なんて淋しい場所なのかと途方にくれたものだった。公園通りの明るさとは対照的に、この山の中の病院のか細い灯りは病人を抱える者にとって殊更こたえた。


 母の入院は唐突に主治医から告げられた。聡美が口をはさむ余地などなく、この病院を告げられた。もう長くはないでしょうとその主治医は静かに言い、それはまるでドラマのワンシーンのようで、こういう時はどのような反応をすればいいのだろうかと他人事にように考えた。これからどうなるのだろうか、この後どうなるのだろうか、今日はどうやって帰ろう、主治医は母を見放したのか、明日の仕事のこと、母の容体、思考回路は止まっているのに、支離滅裂に考えることが次から次へと外部から侵入し、聡美の思考を侵していった。
 かろうじて聞けたことはひとつだけだった。
 ―最期は苦しみますか。
 主治医は聡美と改めて向かい合い、口を真一文字に結んでから一呼吸おき、そちらの病院の方が心安らかに過ごせると思いますよ、とだけ言った。


 日常は淡々と過ぎる。幼い頃から働きづめで聡美を育てた少々ヒステリックな母も、今年還暦を迎える。
 母とはずっと二人で生活してきた。父はもう死んだと母は言い続けているが、高校時代に近所の顔馴染みの女性が、お父さんは東京で暮らしているらしいわねと口を滑らせた。しまった、という顔をして逃げるように女性はその場を立ち去り、家に帰り母に問えばやはりヒステリックに父はもう死んだの一点張りで、余程聡美に会わせたくないのだと悟り、それ以来聞くのは止めた。


 山のように積まれた靴箱から、今日履いていく靴を選び一日が始まるのが聡美の日課だ。短大時代、毎月靴を一足買った。来る月も来る月もバイト代で靴を買う。靴を買うためにバイトをしていたようなものだった。半年ほどは母も黙って見ていたが、そのうちに訝しがり、病的よ、あんた、と冗談交じりに言うようになった。 確かに聡美の靴への執着は病的だ、と自覚はしている。持っている靴はローヒールからハイヒールまで様々で、バックストラップやTストラップ、オープントゥ、セパレートパンプスも有ればミュールやブーツも当然有る。リボンの飾りが付いているものや、ステッチのデザインが入ったもの、素材もラム革からスウェード、ツイードもある。病的だわホント、と苦笑いしながら今朝も積まれたフェミニンな靴たちの眠る靴箱を見上げる。
 月に一度、持っている靴、総勢56足を全てメンテナンスする。クリームを塗り、丁寧に拭いていくのだ。ひたすら無心になって、ひたすら靴を磨く時間が聡美には極上の時間だ。 
 その光景をすでに見慣れた母は昨年末の大喧嘩以来、触らぬ神にたたり無しと言わんばかりに何も言わなくなった。昨年、母が一足勝手に履いていたことが発覚したとき、聡美は母に激怒したのだ。父へ対する母のヒステリックな態度とは比にならない程の興奮状態の聡美を、母は止めることができなかった。
 

 入院生活はあっという間に1ヶ月を経過した。
 母は日ごとに弱って行くが、幸いにも病院の居心地が良く、かつての主治医が言った通り、この環境は患者や身内には心安らかな場所だ。母を養うためにも仕事を辞めるわけにはいかないので、病院に来られるのは専ら日曜日だが、業務に追われ消化できずにいる有給休暇を近々まとめてとろうかと考えている。
週の半ば、会社帰りの道沿いのスーパーでいつものように買い物を済ませ家路につく。キャベツ98円、木綿豆腐98円、ニンジン102円、鱒切り身100円、本日の目玉国産大豆納豆68円。
 病人を抱えていようがいまいが、日常は淡々と過ぎていく。誰もいない狭い家に帰るのは憂鬱だ。しんと静まり返った室内にスーパーの買い物袋のビニールの音が虚しく響いている。
 突然、普段あまり鳴ることのない携帯電話の着信音がけたたましく響く。病院からだ。聡美は母の死期が近いことを悟った。
 
 携帯電話を手にした一瞬、窓を閉め切った室内に、感じるはずのない冷たい風が頬をきった。目頭が熱くなり、視界がぼやけた。携帯電話を握る手に自然と力がこもる。その瞬間、遠い日の涙を流した記憶が蘇る。


 幼い聡美。暗い道。疲れた足取り。乾いた喉。心細い夜風の音。公園と道の境のわずかな段差に足をとられ転倒した。ひざの痛みとかさかさになった手のひら。誰もいない町。取り残されたような恐怖。転んだ弾みで涙が次から次へと溢れ出た。口の中に塩辛い涙が入り込み、さらに乾く喉。―お母さんお母さん、と声にならない声で叫んでいた夜。誰かが後ろから追いかけてくるような感覚に襲われ、たまらず走り出した。住宅街の家々はどの家も大きくそびえていて、誰も聡美には門を開かない。ここには来てはいけなかったんだと懸命に走った。
 その時、ふいに誰かに腕をつかまれた。恐怖で声も出せずに、両手で顔を覆った。全身に震えがきた。
 ―聡美!と呼ばれた気がして、おそるおそる指の間からのぞいたその先にいたのは、母だった。
 安堵を感じる間も無く、ぴしゃりと頬を叩かれた。痛さで再び涙が溢れた。
 ―どこに行ってたの!心配したじゃないの!靴はどうしたの、靴は!
 ぴしゃり、ぴしゃりと続けざまに何度も叩かれた。母も泣いている。私も泣きながら靴を履いていないことにようやく気づいたのだ。
 ―どこに行ってたの!あんたがいなきゃ困るのよ、お母さんは!
と、苦しいほど抱きしめられ、母は何度も何度も言い続けたあの夜。


 ―すぐに来て下さい、という看護士の電話を切り、聡美は狭い玄関の横に高く積まれた靴箱の中から、昨年の今頃、母がこっそり履いていたあの靴の箱を一番下から抜き取った。丁寧に箱に収められた、シックな黒のバックストラップの靴を出し、今しがた置いたばかりのベージュのバッグを手に取り、キーボックスに掛けられた車の鍵をいつもより乱暴に外し、靴に足をいれ、夜風の冷たい外へ飛び出した。ピンヒールの音が、幼い頃迷った夜の町に響いていた。       了


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無題   (2005/10/24)
立ち上がりざまに
突如襲う眩暈。

倒れこむように浴室から出て
強烈な眩暈と、
速すぎる脈、
浅い呼吸。
濡れた肌から止めどなく湯気がのぼり
吐く息の白さと交わる。
立ち上がろうとするのを抑えるように
強烈な眩暈が止まない。

驚くほど力強い鼓動、
聞こえてきそうな動悸が

生の実感を
私にくれる。


23:00   (2005/10/14)
 一週間の仕事が終わった。
 たまには一緒に晩飯でも、と誘う同僚に、満面の笑みで「お疲れ様でした」と返事をし、車に乗り込む。ハンドルを握って向かう先は、仕事場から少し離れた大きめの本屋。隣接している喫茶店は、既に常連。金曜日、週末の疲れた頭と体にご褒美を。
 といっても、気に入った雑誌をまとめ買いするのではない。新刊を片っ端から買っていくわけでもない。まして、ずっと欲しいと思っていた「ガラスの仮面」全巻を買うわけでもない。ただ「本屋に行く」これだけ。それ自体が、私にとっての「ご褒美」なのだ。特にあてもなく、ふらりと店内を眺める。気になった本を手にとる。新刊をチェックする。たまにレジに持っていくのは、2時間あれば軽く読めそうな薄い文庫本。ごくまれに、表紙が気に入ったから、という理由だけで買う時もある。すごく大切で、好きな時間。文庫本一冊と、アメリカンコーヒー1杯分の値段しかかからない、ささやかなご褒美。
 でも、今日は違う。今日これから本屋に行くのは、いつもの「ご褒美」のためではない。

 入り口になるべく近い場所に車を停め、店内に入る。ぴかーっと新刊が並ぶ文庫本コーナーを横目で見ながらそそくさと通り過ぎ、片隅に設置してある文房具売り場へと来た。本屋が大きいと、文房具売り場まで大きい。ずらっと陳列する、ペンノート消しゴムファイルのりハサミ定規メモ帳クリップふせんコピー用紙……。実は、本屋と同じくらい文房具売り場が好きな私だ。こまごましている新品の文房具たちを見ると、たまらなく高揚してくる。おもちゃ売り場に来た子どものように、わくわくする。大好きな紙類はもちろん、普段必要のない真っ赤なマグネットや、「よくできました」シールまで欲しくなってしまう。今日はそれらを全て素通りし、真っ直ぐに目的の品の前まで来た。
 それは、大きい売り場なだけあって、さすがに品揃えが豊富だった。色とりどり。形も違う。私は迷った。一つ手にとっては考え、また棚に戻す、という作業を、おそらく30分は繰り返していた。丹念にひとつ選び、レジへと持っていく。迷いに迷った挙句、結局はシンプルで、どこでも売ってそうな変哲のないものになってしまった。それでも、数ある中で厳選した、あの子の好きそうな優しい色合いのレターセット。

 その日の夜、23:00を回って、やっと私は机に向かった。書き物をする時は、静寂がいい。音楽もいらない。丁寧に淹れたコーヒーと、万年筆さえあればいい。
 便箋の1行目に、10年以上付き合っている親友の名前を書いた。もちろん、電話番号もメールアドレスも知っている。ついこの間も、あくびをかみ殺しながら夜遅くまで長電話をした。この一ヶ月でやりとりしたメールなんか、本当に他愛ない内容だ。
【この前言ってた車、今日初めて見た。可愛いね(≧▽≦)】
【あんたがめちゃくちゃ好きそうなタイプ発見♪♪♪】
【髪切った。写メ送るから感想プリィーズ!】
 20代半ばにもなって、こんな短い画面の文字が、真剣で、楽しい。

 でも。
 でも、今日は手紙を書こう。落ち着いて、ゆっくりと。便箋に万年筆のインクが滲んでいくのが心地良い。伝えたいことは山ほどある。考える前にペンが動く。便箋に向かって、しゃべっている。実は今朝から決めていた。今日の、この時間だけは、彼女のために使おう、と。他のことは何も考えない。わずかに残っている仕事モードのスイッチを、無理やり切って。
 彼女に手紙なんて、何年ぶりだろう。中学生の時以来か。思えば、長い付き合いだ。一緒にテニスボールを追い掛け回し、クラスの男子に一喜一憂し、他愛ないことで泣いたり笑ったり。あの頃は、ただ、楽しめればよかった。10年後の今を、どうして想像しただろう。
 来年は異動かもどうしよう。まじあの上司むかつくんだけど。またあのコ別れたらしいよ。最近お母さんの体調が良くなくて……。たっぷり便箋4枚。読み返せばわざわざ手紙に書くようなことか?と言いたくなる内容かもしれない。もしかしたら、この間長電話した時に話した内容と同じのもあるかもしれない。けれど。ペンが書きたいって言っている。
 こんなくだらないこと書いてゴメンね読まなくてもいいよ嘘やっぱり読んでそれで時間がある時でいいから返事ちょーだいその時はこれ以上にくだらないこと書いていいからきちんと読むからだから。
 そんな気持ちが伝わるといい。きっと、伝わる、彼女なら。
 少しペンを置いて考えて、コーヒーを一口。静かにカップを置き、意を決して最後の1行を書き加えた。万年筆だ。少しでもペンを迷ったらにじみができる。迷いを、見せないように。
 さらりとペンを走らせる。
<本当に、結婚おめでとう。先を越されちゃったな。どうか、幸せに。>

 宛名を書いて、切手を貼る。きれいに三つに折って、便箋とおそろいの封筒に入れる。丁寧に糊付けし、封をする。欲しい欲望に耐え切れず、つい先週の「ご褒美」の時に、文庫本と一緒に買ってしまった金ピカの「おめでとう!」シールを貼る。小学生のノートの端っこによく貼ってある、アレだ。このくらいの冗談は、許せる仲。きっと、「らしいな」と笑ってくれる。でも、残ったシールの使い道は、今のところない。
 あとはポストに投函するだけの封書を、もう一度確認する。宛名よし、差出人よし、切手よし。
 机に手紙をそっと置く。おもむろに視線を横の出窓に移す。飾り気のないそこに、からっぽの写真立て。捨てられないタバコの空き箱。借りたまま返せなかった、グレーのハンカチ。
 最後の一口だった冷めたコーヒーが不味い。自然と、表情がゆがむ。ドロリとした黒い感情が胸の奥からじわりと湧き上がってくる。カップを握った手に、知らず、力が入る。
 結局、自分の幸せをつかむためにあの男は彼女を選んだ。ただ、それだけのこと。
 私ではなく、彼女といる方が幸せになれる。そう思ったから、結婚を決めた。それもまた、当然のこと。 
 そう分かっていても。
 彼女の幸せを心から願っているはずの私が、今、どうしても笑顔になれない。
 待ち望んでいた親友の結婚だ。祝ってやれないのか、狭量だな。
 己を謗(そし)る本音が、心の底でよどんでいる。
 結婚式は一ヵ月後。
 直接会うその時は、言わなくては。うるさい本音に蹴りを入れ。
 彼女に、怪訝に思われないように。素直に。自然に。笑顔で。心から。
 何も、知らない彼女に。
「結婚おめでとう。本当に良かったね」と。

 その瞬間。
 私と彼との間にかろうじて繋がっていた細い細い糸は。
 ぷつんと、切れる。

 明日は休みだけれど、少し早起きをして、ポストまで歩こう。
 この手紙が、早く、彼女のもとへ届くといい。


はじまり 【後篇】   (2005/10/08)
 いくら自分の夢を追い掛け続けているからって、毎日を迷わず生きていけるなんて限らない。自分自身で決めたはずの道でも、不安でどうしようもなくなってしまったり、結果がなかなか出ない事に焦ってしまったり、次第に苦痛になってしまう人も居る。自分がこれだと決めて目指しても、その道で食べていけるかどうかは、絶え間ない努力と素質、そして運がなければならないのだ。

 若者は、ロックスターになる道を選んだ。親の反対を押し切って上京し、ギターを抱えて流離う日々。そして信頼出来る仲間を集め、バンドを結成してはライブに明け暮れていた。もちろん、生活するために働かなければならない。日雇いの派遣の仕事をやっては、自分と同じくらいの歳の社員にこき使われ、それが嫌になって辞めてしまうことも多かった。安定しない収入をどうにか改善するために、待遇の良い深夜バイトを長期の希望で採用に応募しても、“ロック”の象徴であるツンツンにとんがった髪型と腕のタトゥーが、不真面目そうだという先入観を呼んではことごとく断られ続けた。しかし若者にとっては今の自分の姿形が自分なのであって、それを仕事のために変えるのはどうにも耐えられなかった。かといって収入が安定しないことにはバンド活動に集中出来ないし、自分自身でも将来に対する漠然とした不安というものを抱えてしまう状況となってしまっていた。

 バンドの練習に向かう途中、若者はいつものように電車の中で音楽を聴いていた。ちょうど作っている最中のオリジナル曲のデモを流しながら、より良い曲にするためのアイディアを練るのが習慣だった。お気に入りの高性能ヘッドフォンは、ハイクオリティーな音質を保証してくれると共に、外部の音を完全にシャットアウトしてくれた。目を閉じれば音の波の中に居る自分を感じ、まるで自分自身と音楽で対話をしているような心持ちになった。しかしながら最近は、目を閉じて頭の中に浮かぶのは、この先この生活を続ける事への不安だった。そしてその不安は日に日に大きくなっていき、若者の音楽への情熱や創作意欲を鈍らせて、バンド活動にも少なからず影響を与えるようになっていった。やる気に満ちて上京してきた当初と今の状況を比べ、ほとんど変化や進歩を感じる事が出来ない事実に、若者は戸惑っていた。

 築何十年は経っている、4.5畳程の若者の部屋には、ギターの楽譜やCD、レコードといったものが多く散在していて、足の踏み場も無い程であった。部屋の入り口のすぐ側には黒いアタッシュケースが置いてあり、その中にはエフェクターやリズムマシンなどのライブで使用する器材がギッシリと詰まっていた。バイトをしては器材を購入し、そしてまた別の器材が欲しくなったら日雇いバイトをした。そうこうしている内に、アタッシュケースに入りきらない程の量になってしまっていた。そんな部屋の中で、若者はギターの練習に明け暮れ、時折ヒートアップしすぎては隣の住人から騒音のクレームが来たりしたものの、それにももう慣れてしまっていた。

 そんな部屋の中で唯一異質に感じられるのが、部屋の端で壁に掛けられているスーツだった。若者の日常には全くと言っていい程必要のない物体だった。そのスーツは、一月程前に友人の結婚式に出席した際に着けたもので、その時からそのまま放っておかれたものだった。クリーニングに出して清潔な状態だったスーツも、煙草の匂いを存分に吸収してしまっていて、清潔感をすっかり失っていた。

 若者には彼女が居た。同じ街から、それぞれ同じように夢を持って上京し、共にその道を歩んでいた。若者のライブには必ず来てくれていたし、彼女なりの意見をいつも率直に言ってくれて、その意見は若者にとっては一番の反省材料でもあり励みでもあった。しかしいつまで経っても見えてこない自分達の将来に耐えられなくなり、結局若者の元を離れていった。「あなたは夢を追い掛け続けて。私は普通の生き方で幸せを見つけるから」と言い残した彼女が、その後地元に戻り事務として働いていると、若者は人づてに聞いた。そして友人の結婚式で久しぶりに見た彼女は、自立した立派な社会人として若者の目には映った。
 その結婚式では、彼女だけでなく周りの友人達それぞれが、立派に成長しているように若者には感じられた。そして、何も変わらぬ自分だけが取り残されたような感覚に襲われた。事実、友人達の口から漏れる言葉は、仕事の愚痴や将来のキャリアプラン、最新の経済ニュースがほとんどであり、昔のように真剣に音楽の話をしてくれる人はもう居なかった。周りが変わったのか、それとも自分が変わらなさすぎたのか、結婚式後に久しぶりに足を運んだ実家の部屋の中で、若者は自分に問いかけた。しかしいくら問いかけてみても、まだ何も答えを出せないままだった。

 若者がその解答を迫られる事になったのは、実家からの一通の手紙によってであった。その手紙には母親の字で、父親が倒れてしまった事が書かれていた。現在は入院していて命などには影響がないものの、この先今まで通りに働いたりすることは難しいと書かれていた。そして手紙の最後には、そろそろこっちに戻ってきなさい、仕事先は何とか探しておくから、とも書かれていた。
 こうして、自分自身で答えを、選ばなくてはならなくなった。

 その出来事をきっかけとして、若者は改めて今の生活に限界を感じ始めた。自分のセンスを信じてロックスターを目指し活動してきたものの、センスは疲弊し、支えているのは根拠のない自信とプライドだけだった。そして曲が評価されなければ、自分の音楽を理解出来ない方が悪いのだと自分自身に言い訳をしていた。
 アルバイト自体は深夜勤でようやく安定していたものの、かといってバンド活動に手応えを感じていないこの状況では、何のために働いていて、何のために上京してきたのかもわからなくなっていた。

 ある日、若者は雨の中をアルバイトに勤しんでいた。ようやく若者が見つけた深夜バイトは、カラオケ屋の呼び込みだった。道行く人々に声を掛け、カラオケを勧める仕事だった。高校生や大学生にはうまく話をつけて呼び込むことが出来ても、自分よりも上の年代、特にサラリーマンを呼び込んでも、全然見向きもしてくれないのがほとんどだった。そういうこともあって、声を掛ける若者にとっても、サラリーマンへの呼び込みは「ちゃんと呼び込みをしている」というアリバイ工作のようなもので、真剣に呼び込む気はほとんどなかった。
 雨の日は皆足早に通り過ぎるので、団体客以外の客を呼び込むのはかなり難しい状況だった。若者の同僚達もそのことは知っているので、全くやる気が無く、雨に濡れないように雨宿りをし、雑談をしては笑いあっていた。いつもならその中に若者も含まれていたものの、この日の若者は、一人真面目に勤務をこなしていた。雨に濡れる事も気にせずに、道行く人々に声をかけ続けた。若者はある決意をしていたのだった。

 若者は、これまで自分が真面目に生きてきたと思っていた。バンドも真剣に取り組み、バイトも人間関係がこじれて辞めてしまってはいるものの、仕事自体はきちんとこなしてきたはずだった。しかし、今思い返してみると、それは単なるアリバイ工作のようなものだったのではないかと思えてきた。地元の親に対してと、自分自身に対して。働きながら夢を追い掛けているという立場に、安住してしまっていたような気がした。そこで若者は、あることを試していたのだ。
 これまで、客の呼び込みは軽い口調で行っていた。大きな声を出せば店側も満足らしく、細かな口調までは気にしていなかった。しかしその勢いだけの呼び込みでは、やはり学生や若い人々しか呼び込む事ができなかった。そこで若者は、これまでとは違い、心をこめて仕事をしてみようと考えた。勢いだけでなく、一人一人の呼び込み客に対して、きちんと対応してみようと考えた。それは、ある意味自分自身を試す意味合いもあった。
 そこに、いつも店の前を通るあるサラリーマンがやってきた。この男は、これまでいくら呼びかけてもすぐさま拒否されていたので、いい加減若者も顔を覚えていたのだ。今までは大声で呼びかけながら無思慮にチケット付きのポケットティッシュを差し出していたため、その男は見向きもせず、疲れ切ったような顔を引きつらせては拒否をして行ってしまうのが常だった。そんな男に、若者はあえて積極的に声を掛けに行った。「カラオケいかがですか?割引チケットもありますよ」と、大声を全体に響かせるのではなく、丁寧に、そしてその男だけに語りかけた。すると男は、一瞬若者の顔を見上げると、若者が差し出した割引チケットを受け取ってくれた。男が無言だったとは言え、自分の行為が受け止められた事に対して、若者は素直に嬉しさを感じた。そしてそれと同時に、如何に今までの自分が仕事を真剣にこなしていなかったのかが分かった気がした。今更分かっても遅いような気がしたが、若者はその感覚を忘れぬよう、この日は次々に通行人に話しかけては、客を店まで案内したり、チケットを手渡したりしていた。その日の仕事を終えた後の満足感といったら無かった。

 翌日、若者は引っ越しの準備を始めていた。母親からの手紙の後色々と考え、結局地元に戻るという決断を下していたのだ。部屋に散乱していたCDやレコードを段ボールの中に詰め込んでは、昔を思い出していた。ギタリストに憧れて懸命にギターソロを耳コピしたCDや、彼女が都内を駆けずり回って探し出してきてくれたレアレコード、そして上京してすぐに作ったオリジナルのデモテープ。それらを一つ一つ丁寧に詰め込んでいった。その作業をしつつ、果たしてこの部屋で過ごした時間は無駄だったのだろうか、と自分に問いかけていた。確かに世間から見れば無駄な時間に見えるかもしれない。夢を追い掛けて地元を飛び出し、そして夢破れて地元に戻る。しかしその間の時間は、若者にとっては少なくとも忘れたい記憶では無かった。
 確かに、後悔がないわけではなかった。しかしその後悔は、今にしてようやく気付いた「真剣に生きること」を自分が実践出来ていなかったことへの後悔であって、夢を追い掛けた事に対しての後悔ではなかった。生きる事に懸命ならば、詰まらないバイトであっても少なからず満足感は得られ、そしてそのモチベーションでもってバンドにも精を出せていたのかもしれない。そしてその良いサイクルを維持出来ていれば、あるいは若者の夢は叶っていたのかもしれない。ただ、もう機を逃してしまっていた。
 若者は、地元に戻り就職し、普通の人生を歩む事を選択した。今はただその新たに選んだ道を、進んでいくしかなかった。夢を追い掛ける事で得た経験を糧に、頑張って生きていくしかないのだった。若者は、すっかり片付けが終わり妙に広く感じる4.5畳の部屋の中で、今後暫くは音を奏でないであろうギターを取り出し、コードを鳴らしては今の自分を歌いあげた。“はじまり”と題したその曲は、自分自身に一番染み入り、今更ながら自分のセンスも悪くないかも、と思ってしまって、若者はそれをおかしく感じ、笑いながら何度もその曲を歌い続けた。その歌い続ける若者の姿は楽しそうで、まるで上京したての頃のような情熱があった。

 その数日後、若者は大荷物とギターを抱え電車に乗り、慣れ親しんだ東京の街を後にした。そして後ろに過ぎていく街の情景を眺めながら、数日前に作った“はじまり”という曲を、小さな声ながらも心を込めて口ずさんだ。その口ずさまれたメロディは、若者の頭の中で奏でられたギターの音色に乗って、全てを飲み込みそうな東京の夜空に吸い込まれては、儚げに消えていった。


はじまり 【前篇】   (2005/10/04)
 いくら無事に就職したからって、人生が楽しいかなんてわからない。せっかく就職してもすぐに辞めてしまう人も居れば、ずっとずっと同じ会社にしがみついて、ある意味引き籠もってしまう人も居る。就職活動で苦労した末に入った会社であっても、その人自身に合っているかなんて、ましてや本当に良い会社なのかなんて、わかりっこないのだ。

 男は、苦労の末にとある会社に就職した。地元から一人上京してきていた分、家族からのプレッシャーは常に大きく、将来に対する漠然とした不安はいつも頭の中にあって、就職に対する焦りは男を惑わし続けていた。そんな中、何度目の正直かわからないくらいの面接を経て、晴れて社会人へとなったのだった。それが決まった瞬間、男は自分の胸のモヤモヤが晴れた気がしたし、ようやく家族からのプレッシャーからも解放された気がした。決して自らが望んでいた職業では無かったものの、就職が決まったと報告した際の親の喜びようを見ると、これで良かったのだと安心した。
 スーツにネクタイ、Yシャツを身に纏い、満員電車に揺られる日々。仕事に対する不満や疑問を抱える暇もなく、毎日は過ぎ去っていった。仕事を覚え、こなすだけで精一杯の日々。次第に草臥れ顔のサラリーマン達の中に同化していった。

 客先から会社へと戻る途中、車内でギターを抱えた若者を見た。若者、とは言っても男とは同じくらいの年齢であったが、私服で茶髪という出で立ちが、スーツ姿の男との間に溝を作っていた。大きなヘッドフォンを装着して目を瞑り、音楽に没頭する若者の姿を、男は懐かしそうな目で眺めた。まだ学生だった一年前の自分自身を思い出すかのように。またその行為は、男に一年の時の流れを感じさせ、自らの変わり様を気付かせるのに十分であった。その変化が男にとって良かったのかどうかなんて、本人にもわからない。

 1ルームの男の部屋には、何着ものスーツとYシャツが掛けられていた。以前まで好んで着けていたブランドの服は、休日しか日の目を見る事は無く、日の目を見ずに埋もれてしまっている服もあった。埋もれている物は他にも沢山あった。好んで集めていた小説は、読み手を失ったまま埃を被っていて、音を鳴らす事を止めたCDは、山積みになって今にも崩れてしまいそうだった。弦が切れ、調弦もされていない部屋の隅のエレキギターは、コードをかき鳴らしても不協和音を奏でるばかりだった。卒業を記念して自ら購入した高級万年筆は、使われることなく机の下に転がっていた。そんな部屋に男は住んでいた。いや、住むとはいっても部屋に居るのは休日だけで、平日は睡眠を取るだけの場所に過ぎなかった。休日にしたって、結局一日何もせずに寝転んでいることが多いのだった。

 そんな部屋の中で、唯一異質に感じられるものが、日々ブクブクと音を発し続けている熱帯魚の水槽だった。部屋の明かりを消してゆらゆらと揺れ動く水槽内を見ると、日頃のストレスも多少は晴れる気がした。水槽内では一匹のネオンテトラが、広すぎる水槽内をまるで居心地が悪そうにして泳いでいた。

 男には彼女が居た。将来を見据えた真剣な交際をしていた。どうにか就職を決め社会人となったのも、彼女との将来を考えての事だった。仕事に真面目に取り組み待遇を上げていく事が、二人の家庭を築くには必要だと感じられたのだ。しかし、仕事にばかり力を注ぐ男と彼女との間は徐々にすれ違いを生じ始め、結局彼女は男の元を離れていった。「あなたは仕事を頑張って。私は自分のやりたい道に進むから」と言い残した彼女が、その後アメリカに渡ったと、男は人づてに聞いた。それでも男の日常は変わり様が無かった。むしろ今まで以上に変化のない日々となった。
 彼女が残していったものは、部屋の大きさには不釣り合いな大型水槽と、その中で泳ぐネオンテトラだった。始めは十匹以上も居た魚たちは、熱帯魚好きだった庇護者が居なくなると、次第にその数を減らしていった。そして最後に残されたのが、一匹のネオンテトラだったのだ。

 そのネオンテトラが、遂に死んだ。男が会社から帰ってくると、真っ暗な部屋の中で薄青く不気味に光る水槽に、フワフワと浮かんでいた。ゆらゆらと水面に合わせて動くその死体は、まるで生きているかのように男の目には映ったものの、水流を止めると自らの意志で動き出す事は二度と無かった。
 こうして、水槽は、空になった。


 その出来事がきっかけだったのかは定かではないが、男は今の生活に疑問を抱き始めた。何かを守るために始めたこの仕事だったが、気付けば守るべき物は無くなり、働くという行為だけが残された。
 あれだけ心配を掛けていた家族とも、仕事の忙しさを理由にして連絡を絶ってからは疎遠になってしまっていた。今やこの生活は、自分だけのものだった。自分だけのもののはずなのに、少しも楽しめていない現状に、男は気付いた。


 ある日、男は雨の降る中を傘もささず、会社から駅に向かって歩いていた。急な雨で傘を持っておらず、かといって新たに購入する気も起こらず、雨に濡れながら歩く事を選択したのだ。
 駅に向かう途中に、大きなカラオケ店があった。男は毎日その場所を通り過ぎて駅に向かうのだが、たまに呼び込みの店員に声を掛けられては、無性に腹を立てていた。疲れ切って家に向かうサラリーマンに、カラオケに行く元気があるわけがない、と毒づいていたのだ。この日は雨だったので、呼び込みの店員達もまばらで、居たとしても自分が濡れぬように雨宿りをしている店員がほとんどだった。その横を通り過ぎようとした男に、声を掛けてきた店員が居た。「カラオケいかがですか?割引チケットもありますよ」と話しかけてきたその店員は、雨が気にならないのかカラオケ店の制服を濡らしたまま、男に声を掛けてきた。男はいつものように断ろうとその店員の顔を見て、思わずはっとした。以前、電車の中で見た、ギターを抱えた若者だったのだ。若者は男に割引チケットを差し出してきた。そして男は、思わずそれを受け取ってしまった。すると若者は満足そうな顔を浮かべ、次の通行人の方へ行ってしまった。男は、雨に濡れてしわくちゃになった割引チケットをスーツのポケットに仕舞い込むと、若者の方向をちらと見て、そしてまた駅へと向かって歩き始めた。


 翌日、男は疲れ切ったような顔をして会社に出社した。目は充血していて、まるで徹夜でもしたかのようだった。そして自分のデスクに座ると、腕組みをしたまま暫く動かず、ようやく顔を上げたかと思うと、デスクの隅に、ペンで“はじまり”と書いた。男は通常通り仕事をこなし、退社時間となった頃、突然デスクを立ち上がって上司の下へと歩み寄り、スーツの胸ポケットから“辞表”と書かれた一通の封筒を出すと、そのまま何も言わずに唖然とする周りを気にする素振りもなく会社を後にした。

 男は家に戻るとスーツを脱ぎ捨て、いつものようにベッドに身体を投げ出し、天井を見上げた。そしてふっと一息深い息を吐くと、ベッドから身体を起こし、部屋の中を見渡した。いつの間にか自分の場所を失っていたその部屋の中で、男は物思いに耽り、昨晩カラオケ店の前で会った若者のことを思い出していた。あの若者はどのような日々を送っているのだろうか、バンドという自らの夢を追い掛けながらバイトをして生活をしているのだろうか。昨晩、眠れずに抱いた想像は、またも広がっていった。自らの道というものを見失った男にとって、夢を追い掛ける生活に憧れを抱かずにいられなかった。そう考えていくと現状の全てが虚しくなり、昨晩から今朝にかけて考えて出した答えが、会社に置き捨ててきた封筒だった。男はまだ会社を辞めたという実感は湧いていなかったが、それがどれほど大変な事かは知っているつもりだった。それでも自分で下した決断に、男は後悔はしたくなかった。

 男にはかつて夢があった。小説家になるという夢を抱き、大学の文芸部にも所属していて、懸賞用に何本も小説を書いたりもしていた。その志を忘れぬようにと、卒業記念に万年筆を買い、満足げにそのペンを眺めていた時期もあった。しかしいつしかそのペンは、床に転がったまま埃を被っていた。まるで忘れ去られてしまったかのように。

 物思いに耽るのを止めた男は、脱ぎ捨ててあった上着の内ポケットから万年筆を取り出すと、それを満足そうに眺めた。そして今朝、会社のデスクに置き去りにしてきた“はじまり”という文字を、今度は自分の手のひらに書いた。バラバラに書かれたその文字は汗で滲み、まるで男の新たな人生のはじまりを祝う花火のように、男の目には映った。

  【続く】



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