散文ブログ『ちりぶみ』
数名による持ち回り創作ブログ。4のつく日(4・14・24)更新。
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バトルみかん 【後編】   (2007/04/01)
 僕は静かに目を閉じた。4組のみんなの声が、耳の奥に響いた気がした。脳裏に蘇るのは、みんなのはじけるような笑顔。そして、脇本暗殺作戦の成功を祝福する声。
 「やったな山田!」
 僕は力無く返事をした。
 「ああ・・・」
 その声は、やけに静まり返った教室に反響するだけだった。
 腐ったみかんを見つめる。僕はまだ、戦えるだろうのか・・・。




脇本暗殺作戦が成功した4組では一之瀬からの指示が飛んでいた。
 「俺達の最大の脅威であった脇本は倒した。ここからは積極的に打って出るぞ。2階は5組に任せて、俺達は植草を救出に行くぞ!男子はみんな出撃だ。女子も体力に自信があるものは付いて来い!」
 植草はこの暗殺作戦の功労者だ。ぜひ助け出したい。その思いは皆同じだ、何人かの女子が部隊に加わった。
 「ただし、山ちん、岡ちん、二人は大変な作戦をこなした後だから、救出には行かなくていい。」
 「ちょっと待てよ、僕も行くよ。」
 彼とは生死を共にした仲間なのだ、戦友なのだ。是非とも行きたい。
 「いや、それよりもやってもらいたい事があるんだ。1組がどうなっているのかを知りたい。どうも静かすぎる。すまないが屋上を偵察してくれないか。」
 「いや、でも・・・」
 「頼むよ、ここは仲間を信じてくれ。それに、みんなにも手柄をあげさせてくれよ。」
 それを言われると、何も言い返せなかった。みんなのことを考えてる、一之瀬の方が正しいとも思えてきた。
 クラスの大半は植草救出部隊として編成され、僕と岡ちんは中央階段を使って屋上を目指した。4組の守りは西正に任された。浦瀬はすでに5組に戻っており、2階の制圧部隊を出撃させんとしていた。
 ここまでは思い通りの展開だった。2階の制圧はほぼ確実、1階も植草救出だけでなく、そのまま制圧できるかもしれないのだ。給食室を押さえれば長期戦にも耐えられる。屋上の1組も、5組と挟み撃ちにすれば問題はないだろう。こうなると考えるべきは、いつ5組と手を切るか、ただそれだけだ。
 「なあ岡ちん、5組を裏切るタイミングって結構難しくないか。」
 僕は岡部に疑問をぶつけてみた。
 「とりあえずは1組を叩いてから、と言いたいけど、それは向こうも考えてることだからなあ。」
 そうなのだ、だから1組を全滅させてからでは遅い。かと言って、単独で1組と戦えば苦戦は必至だろう。1組には、新型なわとび「ニュースキッパー」という兵器がある。「当たっても痛くない」という売り文句を信じて買ってはみたものの、当たるとやっぱり痛いという、肉体・精神の両面でダメージを受けてしまう代物だ。これを三重跳びの達人、嘉堂が華麗に操ってくるのだから、かなり手強い。ましてや僕たちは、3組との戦いでそれなりに消耗している。1組と正面から事を構えるのは得策とは言えない。それは5組も同じ事だ。
 屋上への出口は特に封鎖されてはいなかった。辺りを警戒しながら屋上の様子を窺ってみる。1組は西階段周辺に陣取り、縄跳びの訓練にいそしんでいる。見たところ、クラス全員が揃っているようだ。2組との交戦はまだ無いのだろう。
 岡ちんが言う。
 「なんか、ほのぼのしてるな。とても戦争中とは思えないよ。」
 確かに彼の言うとおり、1組の連中はまるでいつもの休み時間のように、縄跳びを楽しんでいるように見えた。
 「あいつら余裕だな。2組ともやりあってねえみたいだし。」
 「これは5組と手を組まなかったら、とてもじゃないけど勝てない相手だな。むしろ、1組と同盟したいよ。」
 出口からわずかに顔を出して様子を窺う。すると、10人程の兵士が西階段を降りていくのが見えた。脇本戦死の報が届いての動きだろうか。
 「岡ちん!1組が動いた。10人ばかし階段を降りたぞ。」
 「2組の制圧に向かったか。」
 いや、それは無い。2組とて戦力は十分にある状態だ、もっと大勢で行かなければならないだろう。もしや、これは・・・。身を乗り出して東階段を見た。すると、一瞬だが人影が見えた。おそらくは5組の警備兵だ。
 「なあ、岡ちん。お前がさっき言った事だけど・・・。」
 「ん?5組と組んでて良かったって・・・。」
 「違う!その後だ。」
 「ああ、1組と同盟したいって話か。」
 「今、5組の奴が東階段にいた。」
 「偵察か?」
 「それならいいんだけど、もし5組と1組が裏でつながってるとしたら。」
 「何、まさか!」
 「だって、僕たちは屋上の警備は全くやってなかったんだぜ。5組は東階段を自由に使える。1組との交渉も可能だ。今もなにかの合図を出したんだとしたら。」
 「救出部隊が危ない!」
 僕たちは猛ダッシュで階段を駆け降りた。
 「西正!1階に援軍を!」
 「どうした山ちん。」
 「やばいよ、5組が1組とつながってやがる!今、1組の連中が階段を降りた。一之瀬たちが狙われてる!」
 「何だと!くそっあいつら早くも裏切りやがって!おいみんな!今から救出部隊の救出に行くぞ!」
 救出部隊救出作戦。なんと滑稽な任務なのだろう。だが、ここで主力がやられれば4組は終わりだ。西正が叫ぶ。
 「山ちん!みかんを持っていけ!」
 最終兵器である腐れみかんを早くも投入とは。なんてことだ。
 みかんは教室の片隅でビニール袋に包まれて、静かに発酵が進んでいた。袋を開ける。慌てていたため、腐臭をもろに吸い込み、死にそうになった。これの直撃を食らったら即死だ、間違い無い。
 突撃の号令とともに、4組全員が中央階段を駆け下りた。一之瀬、植草、無事でいてくれ。
 1階から悲鳴が聞こえた。戦いはすでに始まっている。やはり5組は裏切ったのだ。
 「浦瀬!おめえって奴は!」
 「ハッハー!3組なんかいつでも潰せるからな!まずお前らから先にやった方がいいと思ってよ!」
 「てめえら!」
 一之瀬の声だ。間に合うか。
 「一之瀬!生きてるか!」
 「西正!」
 「くそ、もう来やがったか!だが大した数じゃねえ、まとめてやっちまえ!」
 一之瀬の部隊は西側からのニュースキッパー部隊にかなりやられていた。さらに5組の予想外の裏切りもあって、多数の死者を出していた。奴らは女子にも容赦無く関節技を掛けていた。血も涙も無い連中だ。僕たちは5組の部隊のど真ん中に突撃した。腐れみかんを力いっぱい投げた。卑怯な裏切り者どもに、憎しみを込めて投げつけてやった。一之瀬の部隊もカンチョー攻撃、電気あんまなどの攻撃を繰り出して必死に防戦した。
 背後からは1組が執拗な攻撃を仕掛けてくる。
 「食らえ!三重跳び!」
 「ほーっほっほっほっほ、女王様とお呼び。」
 何だ、あのクレイジーなドS女は!天本か!
 1組の攻撃力は予想以上だった。我ら4組の部隊は混戦の中で次々と倒れて行った。
 「横瀬!青柳!君津ぅ!」
 コブラツイストで、四の字固めで、ニュースキッパーの連打で次々と死んで行った。僕はもう、気がおかしくなりそうで、とにかく相手の顔めがけて、たとえ女の子であろうと、ただただみかんを投げた。
 「きゃあ!ひどい!」
 相手は憎しみの眼差しを僕に向けながら死んでいく。それでも僕はみんなを助けたい一心で、みかんを投げ続けた。悲鳴がフロアに響き渡る。
 「痛い痛い!ギブギブギブ!」
 誰かが関節技で死んだ。
 「うげぇ臭え。」
 にぎりっぺで死んだのだな。
 「うううええううういいいあああ!」
 電気あんまで逝ったのだな。
 だれもがみな、敵を憎み、ひたすら戦い、殺した。全ての者の心に鬼が宿っていた。もう、どうにもならなかった。
 「撤退!撤退だ!」
 一之瀬の声が飛ぶ。しかしこの状況、撤退すらままならない。
 「ここは俺に任せて、お前らは逃げろ!」
 「無茶だ!一之瀬!」
 「いいから行け!お前らは生きろ!そして4組から優勝者を出せ!」
 「一之瀬ぇ!」
 「うおおおおおおぉぉ!」
 一之瀬は一人、ろくに武器も持たずに5組に突撃して行った。
 「くそお!撤退だ、撤退しろぉ!」
 僕たちは必死になって階段を駆け上がった。後ろをふり向かずに、ひたすら登った。教室にたどり着いたとき、生き残っていたのはわずかに6人。僕と岡ちん、西正、植草、渡瀬、相川。たったのこれだけだった。
 「くそ、くそお!」
 相川が泣きながら床を叩いた。僕たち4組は優勝候補だったはずだ。それなのに、どのクラスよりも早く全滅の危機に瀕しているのだ。それを思うと、僕も泣きたくなった。
 「どうすんだよこれから・・・。」
 渡瀬がつぶやいた。
 誰も答える事はできなかった。僕たちがこれからどうなるか、これからどうしたら良いのか、そんなことは誰にもわからなかった。
 突然、相川がすっくと立ち上がった。
 「相川、どうした。」
 「トイレだよ。」
 いきなり声も無く立ち上がるから、驚いてしまった。
 それにしても、これからどうすれば良いのだろう。たったの6人では戦いようがない。5組も1組も、かなりの損害を出したとはいえ、主力は依然として健在だ。2組にいたってはほぼ無傷の状態。壊滅間近の3組でさえ、今の4組よりはマシなのかもしれない。わずかに可能性があるのは、2組との同盟だ。現時点で最も戦力があるわけだし、これまで直接の交戦がなかったのは2組だけだ。そして2組には幼稚園からの幼なじみである三鷹がいる。彼を通じて交渉すれば、2組を味方に付けられるかもしれない。4組に残された希望は、もはやそれしかないと思われた。
 「うごおおぉ!」
 突然、トイレからうめき声が聞こえた。相川の声だ。
 「相川!」
 僕は反射的にトイレに飛び込もうとしたが、西正がとっさに制した。
 「落ち着け。きっと中に伏兵がいる。」
 「まさか。」
 「全員を救出に駆り出したからな、ここの守りがいなかったのを考えなかった。しくじったぜ。」
 なんてことだ、僕たちがやろうとした事を、敵に先にやられるなんて。
 「ようし!トイレの中にいる奴、いるのは分かってるんだ、あきらめて出て来い。出てこなかったら、トイレの花子さんを呼んじまうぞ!」
 西正の勧告に観念したのか、ゆっくりとドアが開いた。僕たち5人は身構えた。出てきたのは、2組の三鷹だった。
 「三鷹ぁ、てめえか!」
 悔しかった。相川がやられた事も、やったのが三鷹だった事も、2組との同盟の目が無くなった事も。
 彼は生乾きの雑巾をぶら下げていた。その悪臭で相川を殺したのか。
 「三鷹、てめてよくも!」
 「落ち着け山田。」
 西正はリーダーを失った4組を、なんとか立て直そうと、冷静な態度を貫いた。
 「三鷹、観念しろ。お前はもうだめだ。だが、2組の戦力と今後の作戦をしゃべれば降伏を受け入れてやる。それが嫌なら、きっつい死に方することになるぜ。」
 三鷹は雑巾を持ったままこちらをじっと見ていた。やがて意を決して歩み出すと、雑巾を振り回して猛然と突っ込んできた。
 「勝つのは俺達だあああ!」
 彼の表情は追いつめられた野獣そのものだった。僕たちは一瞬、気圧された。しかし西正も植草も距離をとって、うまく雑巾をかわしていた。
 「うわあ!うわあぁ!」
 じりじりと距離をつめていき、一斉に飛びかかって取り押さえた。三鷹は観念したのか、抵抗をやめ、おとなしくなった。
 「さて、三鷹。今ならまだ間に合う。2組の情勢をしゃべる気はないか?」
 そうだ、まだ間に合う、2組との同盟も。
 「全滅寸前の人達に話してどうなるわけ?」
 三鷹は挑発的な態度を崩さなかった。
 「ちっ、植草、やれ。」
 西正が冷たい口調で指示を出した。植草はひとつうなずくと、三鷹の顔面にケツを突き出した。にぎりではなく、ダイレクト放屁で処刑しようというのだ。
 「植草、待ってくれ。」
 僕はとっさに止めた。それは三鷹の命乞いをするためではなく、2組との同盟の話をするためでもなかった。
 「僕がやる。」
 周りは驚いていた。僕と三鷹が昔からの友達なのはみんな知っていたからだ。僕は三鷹の持っていた雑巾を拾い上げた。
 「山ちん。」
 「みたかっち。僕は悲しいよ。お前にこうして、止めを刺さなきゃいけないなんて。」
 僕は彼の背後に回り、雑巾を顔面に巻き付けて思いっきり引っ張った。
 「んー、むー、んふー。」
 彼は僕の腕の中で必死に最後の抵抗をした。その手応えが伝わるたび、僕は腕に力を込めた。
 「どうだ、相川の気持ちが分かったか!」
 やがて静かになったかと思うと、彼の体は力無く折れた。そして、動かなくなった。
 僕はこの手で、親友を殺したのだ。ひざを落として、ただ、「うう、うう」とあえいだ。涙が止まらなかった。
 西正が僕の肩をぽんと叩いて言った。
 「教室に戻ろう。」
 僕たち5人は、教室の床に座りこんだ。
 戦いが始まってどれくらい経ったのだろう。一瞬の出来事だったようにも感じられるし、ひどく長かったようにも思える。
 「戦いは終わってないぞ、武器を持て。」
 西正は僕にみかんを手渡した。腐れみかんの最後の一個だ。僕はそのみかんを見つめ、つぶやいた。
 「いつからこんなことになったんだろう。」
 女の子にも、昔からの親友にも手を下した。一体いつから、僕の心に悪魔が巣食ったのだろう。
 三鷹を殺した時か。
 5組に裏切られた時か。
 プレイスタリオン3が欲しいと思った時かもしれない。
 「いつからこんなことに・・・。」
 僕は静かに目を閉じた。4組のみんなの声が、耳の奥に響いた気がした。
 「だいたい何なんだよ!」
 渡瀬が叫んだ。
 突然の事に、みな体をびくっと震わせたが、答える者はだれもいなかった。けれどもその声は、僕の心の中で何度も反響した。

 だいたい何なんだ、この戦いは。
 だいたい何なんだ、僕たちは。

 教室は静まり返っていた。だれも動く事ができず、ただ、じっとしていた。僕は、流れ行く雲を見ていた。何も考えられなかった。ただ、僕たちはもうだめなんだろうなと、なんとなく思っていた。1組と5組がなだれ込んでくれば、とてもじゃないが持ちこたえられない。待てよ、そう言えば奴ら全然攻めてこないじゃないか。少し冷静になって考えてみれば、僕たちがこうして教室で感傷に浸っていられること自体おかしい。1組5組連合の戦闘力からすれば、僕たちはとっくに全滅しているはずだ。それなのに、彼らは来ない。
 「なあ、なんであいつら来ないんだろう。」
 考えていた事が、つい口に出てしまった。
 「言われてみりゃそうだ。とっくに来ててもおかしくないのに。」
 「もしかしてあいつら仲間割れしたか。」
 「うまくいけば2組も巻き込んでるかもしれないな。」
 僕の一言がきっかけになって、みんなが俄然やる気になった。
 「よし、俺が様子を見てこよう。」
 渡瀬が偵察をかって出た。
 「おい、無茶するな。」
 「大丈夫だ、様子を見に行くだけだ。」
 そう言うと渡瀬は、僕たちが止めるのも聞かずに中央階段を下って行った。
 「あいつまでやられたら、4組は終わりだ。」
 「だけどうまく行けば、ほとんどのクラスが壊滅状態になってるかもしれない。」
 「いずれにせよ、もう俺達に退路はないんだ。」
 そうだ、もう戦うしかないのだ。とりあえず今は渡瀬からの良い報せを待つしかない。
 待っている間の時間は長かった。やはり渡瀬もやられたのか、そんな心配が心をよぎり始めた頃だった。中央階段を駆け上がる足音、とっさに身構える。教室に飛び込んできたのは、少し興奮気味の渡瀬だった。
 「どうだった?」
 「1階は大乱戦になってる!隙間から覗いただけだから詳しくはわからないが、2組の連中もいたぞ!」
 「よっしゃ!」
 植草はガッツポーズを見せた。
 「どうする西正。」
 西正はここでひとつの決断をした。
 「よし、ここまで来たらもうイチかバチかだ。1組、2組、5組の最前線に奇襲をかけ、一気にケリを付ける。そして、この教室を出た瞬間から、俺達はクラス内の戦闘を解禁する。ここから先は全員が敵だ。己の力だけで生き延びろ。」
 ついにこの時が来たのか。情け無用の仁義なき戦いだ。
 「植草、俺は一之瀬の仇をとりに行くぜ。」
 「よし、俺も行く。」
 「渡瀬、お前は?」
 「俺は西階段から1階に下りて、奴らの逃げ道を塞ぐ。その後はお前らとバトルだ。」
 「へっ、そんときは俺の怖さ見せてやるぜ。山田、岡部お前らはどうする。」
 岡ちんと顔を見合わせた。勝てる望みが少しだけ出てきていたのはわかっていた。しかし、具体的なプランは何も無かった。ただ、ずっと心に引っかかっていた事があったから、それを正直に言った。
 「今日の給食の献立は、春雨スープと揚げパンなんだ。」
 「それがどうした。」
 植草は軽くずっこけていた。だけど、僕は大真面目だった。
 「だって、あの二つは給食のゴールデンコンビだぜ。だから、なんとか給食室を押さえたいと思ってる。」
 「そうか、だが俺達はもう長期戦にするつもりはない。とっとと終わらせて、プレスタ3も給食も俺がいただくぜ。」
 西正はそう言うとニヤリと笑った。そうか、西正もプレスタ3を狙っているのか。
 「さあ、それじゃ行くか。次に会った時、俺達は敵同士だ。死んでも恨みっこ無しだぜ。」
 「おう!」
 僕たちは一斉に声を上げた。次に会う時は敵同士、なのに何故か、そこには妙な一体感があった。
 まず、西正と植草が教室を出た。東階段から1階に降り、敵を片っ端から倒すつもりのようだ。
 「じゃあな。」
 その一言を残して渡瀬が教室を出た。西階段を降りて同じく1階を急襲する気だ。
 「僕らはどうする?」
 岡ちんがそう問いかける。もうすぐ、僕たちも敵同士になるかもしれないのに、どこかのほほんとしている。それも岡ちんのいいところか。
 「ワンテンポ置いて、東階段から一階に降りる。西正と植草が生きていれば彼らと戦う。もしやられていたら、敵の数によっては一旦引き返して、別ルートから給食室へ潜入して、長期戦に持ち込む。僕たちだって、もうイチかバチかなんだ。」
 岡ちんも覚悟を決めたらしく、うん、とうなずいた。
 「プレスタ3は僕のものだ。」
 この男も狙いは同じか。
 僕は最後のみかんを手に、慎重に進んだ。岡ちんは先程の生乾き雑巾を手にしている。ひとまず東階段に到着。下からは何の音も聞こえなかった。戦場から遠くて音がしないのか、それともすでに戦闘は終わったのか。植草たちと鉢合わせになる可能性もあるから、十分に警戒しながら降りて行った。
 1階に到着。校舎はL字型に折れているから、中央階段付近まで行くには、角を曲がらなければならない。ここから見える範囲では戦闘はないようだ。角までは音を立てず、速やかに進んだ。そっと覗き込む。中央階段付近に、おびただしい数の死体が積み重なっているのが分かる。1・2・5組の大乱戦は本当にあったのだ。しかし、動いている物体は一切無かった。誰かが息を潜めているのだろうか。植草たちは、僕が1階の給食室狙いである事を知っている。ならば、彼らが敵を全て倒し、僕たちを待ち伏せているという可能性が一番高い。
 「岡ちん。どうやら植草たちが勝ったらしい。もはやあいつらは敵だ。見つけたら容赦無く雑巾をかぶせろよ!」
 岡ちんに念を押した。中央階段付近までは距離がある、教室の中に伏兵が無い事を確認しながら、慎重に慎重に進んで行った。教室三つ分くらい行ったところに二つの死体があった。顔が確認できるところまで近づいてみる。ひとつは西正だった。もうひとつは植草だった。
 どういうことだ!僕の頭は完全に混乱した。他のクラスの連中はみなやられている。しかし、あの二人も死んでいるとは。
 「う・・うう・・・」
 植草はまだ生きていた。しかし、大量に鼻血を出していた。この出血ではもう助からない。
 「植草、僕だ、山田だ。」
 「う・・・」
 何かを伝えようとしていた。耳を顔に近づける。
 「の・・・う・・さ・・・・・」
 そこまで言うと、頭をがくりと落とした。「のうさ」とは一体。よく見ると、西正も鼻血を出して倒れている。こんな死に方は見たことがない。
 「山ちん、これはどういう事だ。」
 「僕にもわからん。だけど、ひとつだけハッキリしている事は、もう倒すべき敵の数は少ないということだ。給食室までの道のりもなんとかなりそうだ。春雨スープで体力回復と行こうじゃないか。」
 状況は今一つわからないが、とりあえず目に見える敵はいないのだから前進あるのみだ。と同時に目標がハッキリしない以上、長期戦に備えるのが当然だろう。
 ところで渡瀬はどうしたのだろうか、このままなら正面から出会うはずだが。そして植草の先程の言葉、「のうさ」とは。
 すると前方から、かすかに女の黄色い声が聞こえてきた。
 「岡ちん、聞こえたか。女の声だ。」
 「ああ、聞こえた。」
 まだ、女子の戦力が残っているクラスがあったのか。
 「きゃー、きゃー、待ってー。」
 今度はハッキリ聞こえた。声は複数だ。僕たちは手近な教室に身を隠した。
 「きゃーきゃー渡瀬くーん、待ってー!」
 渡瀬だと、渡瀬が女に追われているのか、どういうことだ。なぜ追われている、そして、彼の脚力でなぜ逃げ切れないのだ。
 「来るな!おまえら来るんじゃねえ!」
 渡瀬は僕たちの潜む教室の脇を通り抜けた。何故か前屈みで逃げている。
 「きゃーきゃー渡瀬くーん!」
 そして謎の声の主が一団となって通り過ぎた。僕は自分の目を疑った。
 声の主は美女で名高い2組の女子だった。5人くらいいた。そして、なぜだかはわからいが、いや最初から狙っていたのか、彼女たちブルマ姿で戦ってる!
 「ブ、ブルマだとぉー!」
 渡瀬はあっという間に囲まれてしまい、もみくちゃにされた。
 「うお、うおう、やめろぉ、そんなとこ触るなあ!」
 植草が遺した言葉「のうさ」とは「悩殺」の事だったのか。
 渡瀬はもうだめだ。鼻血ブーの出血多量であの世行きだ。いかにスポーツ万能の渡瀬でも、己のモスラの幼虫が当社比1.5倍の状態では逃げる事はできまい。つかまったが最後、鼻血を出すまでエロ攻撃だ。
 この世の中にそんな殺し方があったとは。おのれ2組の美女軍団め!そんな卑劣な手まで使ってくるとは!
 「ねえ、死んだ?」
 「死んだ死んだ、鼻血出してカッコ悪い!」
 「ようし、これで4組全滅かな?」
 「あと、山田と岡部がいなかったっけ?」
 「そっか、じゃあさっさと始末しちゃおう♪」
 平然と恐ろしい会話を交わしながら、再び教室の前を通り過ぎた。おそらくはあの調子で、1組の縄跳び軍団と5組のプロレス軍団を壊滅させたのだろう。そっと顔を出して様子を窺う。学年一の美女といわれる山名さんの姿もあった。僕はその後ろ姿をずーっと見ていた。山名さんにだったら、殺されてもいいかも。
 気づくとすぐ背後で岡ちんが鼻の下を伸ばしている。
 「おい、岡ちん、何でれーっとしてんだよ。」
 「べ、別にぃ。」
 どうせ僕と同じ事を考えていたのだろう。
 「岡ちん、2組が手段を選ばずに来たぞ。彼女たちが僕たちを標的にしている以上、ここは一度退却してどこかに身を隠した方が良いんじゃないか。」
 「いや、こうなったら一瞬の隙をついて給食室に飛び込んだ方が良いと思う。」
 「それは危険すぎる。」
 「だけど、あの美女軍団はもはや無敵だよ。彼女たちが給食室で待ち伏せしていたらしょうがない。でもひょっとしたら誰もいないかもしれないじゃないか。」
 「おい、もしかして、あいつらのエロ攻撃で昇天したいとか思ってんじゃないだろうな。もう勝負をあきらめたのかよ!」
 「そうじゃないよ、だけどここで逃げたってどうにもならない。そういうお前は、あいつらを倒す作戦でもあるのかよ!」
 「そりゃ、出会ったらその瞬間終わりだとは思うけどさ。それでも希望はなくしたくないよ。最後まであきらめたくない。」
 「じゃあ、お前は逃げろよ。俺は行くぜ。」
 「勝手にしろ!」
 と言ったものの、二人とも立ち上がろうとはしなかった。
 「早く行けよ!」
 「お前こそ早く行けよ!」
 「僕は・・・ちょっと今は立てないんだよ。」
 「実は僕も。」
 その、なんというか、男の事情というか、座っているけどたっているというか。僕は思わず吹き出した。つられて岡ちんも笑い出した。そのうち大笑いになった。どこに敵が潜んでいるかわからないのに、そんなことは構わず、僕たちは笑い続けた。戦争を、一瞬だけど忘れた。
 僕はナニがおさまった頃合いを見て、教室を出た。
 「じゃあ、岡ちん。幸運を祈るぜ。」
 「ああ、山ちんも。」
 とりあえずは東階段の方に戻り、東側のトイレにこもる事にした。ここは意表をついて女子トイレに入った方が見つかりにくくて良いだろう。個室に入りしゃがみ込むと、大きなため息を吐いた。
 これからどうすればいいのだろう。敵はほぼ壊滅状態なのに、あんなイカサマにも等しい攻撃を繰り出してくるとは。山名さんのブルマ姿など、見た瞬間に前屈みの戦闘不能状態になってしまうだろう。見ただけで戦闘不能だぜ、どうやって戦えばいいんだ。
 なんだか今になって、岡ちんの方が正しい気がしてきた。どうせ勝てないなら、山名さんの体育着に包まれて絶命できれば本望だ。もしかするとそれはプレスタ3以上の価値があるのではないか。それに可能性が低いとはいえ、給食室がガラ空きというのも、無い話ではない。こんなところにこもっていても、もうどうしようもないのではないか。僕は個室を出た。壁には芳香スプレーが取り付けてある。脇本はもういないのだ。こんなものを持っていても、何もならないだろうな。
 「山ちん、山ちん。」
 僕を呼ぶ声がする。岡ちんか。
 「山ちん、どこだ。」
 僕はトイレを出て手を振る。
 「ここだ、ここ。」
 「山ちん、聞いてくれ、給食室がガラ空きだ。」
 「本当か!」
 「ああ、本当だ。それを山ちんに伝えたくて。」
 「わざわざ来てくれたのか。」
 「うん、いっしょに春雨スープ食おうよ。」
 岡ちん、なんてやつだ。僕は岡ちんの意見を拒否して、勝手にしろ、とまで言ったのだ。そんな僕に、いっしょに食おうと言ってくれるのだ。岡ちんの友情に涙が出そうになった。
 僕たちは小走りで、給食室を目指した。
 「うおおおお、本当に誰もいない!」
 僕は大はしゃぎで部屋に飛び込んだ。
 「やった、うずらの卵も取り放題だ。揚げパンも好きなだけ食える!なあ岡ちん。」
 振り返ると、岡ちんの姿が無い。
 「あれ、岡ちん、どこいった。」
 「やーばだー、おべえよくここばで生きてこれただ。」
 なんだ、この鼻詰まりの声は。
 「だれだ、出て来い!」
 「俺だよ。」
 背後から現われたのは3組の遊佐見だった。給食室の物陰からも3組の連中が現れた。なぜかみな鼻栓をしている。
 「遊佐見!お前がなぜここに。なぜ3組が生きてる。」
 「ははは、あばいぜおばえら。脇本を倒したくらいで勝った気にだって調子にどってるかららぜ。俺達2階で結構平和に過ごしてたんだぜ。お前らぼ、5組ぼ、俺達の事をいつでも潰せると思って油断しただ!」
 「2組は、2組はどうしたんだ。」
 「ああ、ブルマ軍団か。うちは女子ぼけっこう生き残っててら、女相手に悩殺は無理だからら、楽勝らったぜ。」
 なんてことだ、どうせ死ぬなら山名さんの胸の中で、と思っていたのに。
 「でも、なんで僕の居場所がわかったんだ。」
 「それはこういうことざ!」
 3組連中の背後から現われたのは、岡部だった。
 「岡ちん、おまえまさか!」
 「あいつが全部しゃべってくれたぜ。」
 「岡ちん、お前って奴は信じてたのに!」
 「だってさ、しょうがないよ。給食室は完全に制圧されててさ、降伏して仲間をおびき寄せたら、給食食わせてくれるって言うからさ。だって、春雨スープと揚げパンはゴールデンコンビだぜ、だからしょうがないよ」
 「ぐぬぬぬ、岡部てめえ!」
 「はははは、悲しいだ、友達に裏切られてよ。でぼこれが戦争だからら。」
 岡部が幸せそうな顔で、春雨スープをすすっている。僕の中に、怒りと憎しみが込み上げてきた。3組の連中も岡部もみんな殺してやる。
 「どうだ、お前ぼ降伏すれば給食を食わせてやるよ。」
 僕は腐れみかんを手で握り潰した。
 「あれ、降伏する気無いびたいだな。じゃあ、これを使うか。」
 遊佐見は箱の中から、体育着を取り出した。と同時に、鼻を突き刺す刺激臭。もうそれが、だれの体育着なのかはすぐにわかった。
 「脇本の体育着だ。あいつが倒された時は正直ビビったよ。だけどさ、よくよく考えてみれば、必要だのは脇本じゃだくて、脇本の臭いだぼんだ。あいつのワキガはすげえぜ、完全に服に臭いが移ってるぼんだ。」
 僕も正直、ここまで凄いとは思わなかった。これじゃ脇本暗殺作戦など、全くの無意味だったのだ。あの命懸けの行為はなんだったんだ。あの、4組の歓喜はなんだったというんだ。
 「さーて、能書はころへんりして、そろそろ死んでぼらうか。」
 僕の戦いはここまでなのか、だが、ただやられはしない。
 「・・・・・には死を。」
 「ああ、何だって。」
 「裏切り者には死を!」
 僕は腐れみかんを、岡部の眉間めがけて、怒りと憎しみを込めて投げた。みかんが彼の顔面に命中し、破裂したのが見えた。だがその直後、僕の視界を白いものが遮った。前から後ろから、脇本の体育着が迫ってくる。やがてそれは僕の顔面に押し付けられた。1枚だけじゃない、2枚、3枚と脇の部分が僕の顔に重ねられていった。呼吸のたびに鼻を刺激するそのにおいは、くさいを通り越して、痛かった。やがてその刺激は脳に達した。もう死ぬんだ。それがはっきりわかった。遠のく意識の中で見たものは、だた白、体育着の白。山名さんの体育着なら天国にも行けただろう。だが、脇本のなら生きているうちに地獄を味わう事ができる。もう、体は動かない。

 ワキガの体育着をかぶせられて悶死。それが僕の最期として記録された。

終戦
 あれから僕たちは何事も無かったかのように、学校へ通っている。いつものように授業を受け、いつものように少し退屈な毎日を過ごしていた。
 優勝したのは遊佐見だった。プレスタ3を手に入れた彼は満足そうだった。だが、その過程でクラスの友達との死闘があり、裏切りがあった。だから、せっかくプレスタ3を持っていても、一緒に遊ぶ友達もういないという。彼は一体、何を得たというのだろう。
 そして、それは僕も同じだった。昔からの親友を処刑し、クラスで一番の仲良しを腐臭まみれにしたのだ。もう、友達と呼べる存在はいなかった。僕だけじゃない。誰もが友達の鬼の形相を見た。裏切りにも遭った。だれもが、人を信じられなくなっていた。そして遊佐見以外は、だれもがみじめな死を体験したのだ。もう、クラスの雰囲気は戻らなかった。
 僕たちはもうすぐ卒業してしまう。多くのものを失ったまま。これでいいのか。このままでいいのか。僕はあれから岡部に一度も話かけていない。だけど、全てを失ったまま卒業するのだけはいやだった。僕は彼に歩み寄る。
 「なあ、岡ちん。」
 あだ名で呼ぶのにこんなに勇気が必要なのは初めてだった。
 「なに。」
 向こうもどこかぎこちない。
 「あのさ、今日、学校終わったら遊ばない?」
 岡ちんはしばらく沈黙していた。わずかにこちらを見ると。
 「いいよ。」
 とだけ言った。それ以上はお互い何も話せなかった。
 家に帰って、彼が来るのを待った。僕は仲直りしたかったが、でも、なんて言おう。その答えが出ないうちに、ドアチャイムが鳴った。岡ちんだった。
 「なあ、たまにはキャッチボールでもしないか。」
 岡ちんは不思議そうな顔でこちらを見た。僕が彼をキャッチボールに誘ったのは初めてだった。
 僕たちはグローブをはめて、近くの河川敷まで歩いた。適当な場所を見つけて、ボールを投げ始めた。仲直りの言葉は見つからなかった。ただ、彼の胸元をめがけてボールを投げた。彼も同じようにそうした。ボールがどれだけ行き交っても、二人とも声を発する事はなかった。
 陽はだいぶ傾いてきた。そろそろ帰らないといけない。でも、このままでは終われない。僕は勇気を振り絞って、声を出した。
 「あのさ・・・。」
 岡ちんは何も言わず、ただ次の言葉を待っていた。
 「僕と、もう一度、友達にならないか。」
 岡ちんはしばらく黙っていた。そして僕にボールを投げかえして言った。
 「何を言ってるんだ。」
 岡ちんは続けた。
 「山ちんと、友達じゃなかった事あったっけ。」
 僕は涙があふれそうになった。
 「何だよ、泣いてるのか?」
 「へっ、冗談じゃない。」
 僕は空を見上げてごまかした。そしてボールを力いっぱい投げた。空高く舞い上がったボールは、西日を浴びて、みずみずしいみかんの色に染まった。








今回の作品はいかかでしたか?
4のつく日を大幅に遅れてしまって申し訳ありませんでした。
コメントお待ちしております。



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バトルみかん 【前編】   (2007/03/24)
 腐ったみかんを握りしめていた。鼻に突き刺さる腐臭にもすっかり慣れきってしまった。
 「いつからこんなことになったんだろう。」
 教室の片隅でそっとつぶやく。僕たちは疲れきっていた。だから、そんな少し愚痴っぽいつぶやきなどに反応を示す者はなく、ただ沈黙だけが教室を支配していた。みかんを床に放り捨てた。じっと手を見る。黄色くて、臭かった。僕も、それをむきになって洗い落とそうとはしなかった。
 「いつからこんなことに・・・。」
 僕はもう一度つぶやいた。
 初めはたわいのないいたずらだった。みかんの皮で汁を飛ばして、目潰しとか言いながらふざけ合っていただけだった。それがいつのまにか、こんな悲惨な戦いになった。僕はこれまでのことを思い出していた。

開戦前日
 戦いを目前に控え、僕たち6年4組の士気は高かった。学級委員の一之瀬を先頭に、一丸となって戦い抜く決意だった。一之瀬の檄が飛ぶ。
 「校長先生はおっしゃった、勝ち残った者には、欲しいものをどんなものでも買ってあげると。しかし、この戦いでその栄誉にありつけるのはたった一人だけだ。当然、最後には優しさや友情を捨ててでも、友達や、もしかしたら好きな人と戦わなければならないかもしれない。」
 僕の欲しいもの、それは発売されたばかりの「プレイスタリオン3」だ。絶対に生き残って、買ってもらうぞ。
 「それでも、まずはクラスとしての勝利を目指さなければ話にならない。幸い、俺達6年4組は、学年随一の戦闘力を誇っている。さらに、他の組にはない団結力があると信じている。なんとしても、このクラスから優勝者を出すんだ。」
 クラス全員が鬨の声を上げ、一之瀬の檄に応える。すでにやる気満々だ。
 僕ら4組は戦略面でも他のクラスを上回っている。学年5クラスの中の4組。フロア端に近く、集中攻撃を受けにくい。また、目の前がトイレという立地条件。戦闘開始と同時にここを押さえ、おしっこが我慢できなくなった奴が来たら、芳香剤のスプレーを浴びせかける作戦だ。さらに、隣りの5組と同盟を結び、背後を固めておいて3組を潰す。残る1組と2組は東階段を守る5組に背後を襲わせ挟み撃ちにする。その後は5組との同盟を破棄し、問答無用、容赦無しの乱戦となるであろう。そのときに役に立つであろう最終兵器が「腐れみかん」だ。これを食らった奴はひとたまりも無いだろう。なにせこの腐敗臭だ。そもそもこの戦いは、みかんの皮で汁を飛ばし合ったのが始まりだった。僕たちはその頃から、給食のみかんを食べずに備蓄しておいたのだ。まさか学年全体を巻き込んだ戦いになるとは想像もしていなかったが。

開戦
 いつもと変わらない朝だった。みんな普通に学校にやってきて、普通に挨拶を交わしている。しかし、始業のチャイムが鳴れば、戦いが始まるのだ。そう思うと、みんなどこか緊張しているようにも見えた。いつもは遅刻してくる奴も、今日だけは早くから来て作戦を確認していた。やはり、いつもとはどこか違っていた。
 女子を中心とした防衛部隊は、みな迅速な動きでバリケードを作り上げた。トイレ部隊はすでに編成を終え、出口に陣取っていた。5組からの援護も確認が取れている。万全の体制でチャイムを待つ。しばしの沈黙。
 チャイムが鳴った。
 フロアじゅうから地鳴りのように声が上がった。戦いが始まった。トイレ部隊は男子女子ともにダッシュ。男子トイレを難なく制圧。すかさず芳香剤を構える。女子のトイレは3組に近く、「やーい、ぶーす、ぶーす」などと言葉による攻撃を受けていたが、「うるせえ短足!」とすかさず反撃し、むしろ相手側を負傷させていた。5組はクラスの半数を東階段の防備に回し、残る半数は3組との国境まで出張っていた。
 3組の何人かはすでに中央階段の防備に回ったようだ。1組と2組はどういう動きをしているかはわからないが、1組は当然、西階段の制圧にかかったのだろう。2組は地理的条件が厳しいため、教室の防備を固めているだろう。もしかすると隣接するクラスとすでに同盟が成立しているかもしれない。1組と同盟していれば、すぐさま3組を攻撃にかかるところだが、今のところその気配はない。
 ここは5組と共同で3組を一気に制圧したいところだが、ひとつだけ大きな問題があった。それは「松ヶ峰小学校のチェルノブイリ」「3組の核弾頭」「いるだけでいやがらせ」とも言われる、脇本の存在だった。奴はワキガだった。その臭いは隣りのクラスまで届くほどの強烈さで、今も最前線で戦う者の中には体調不良を訴えるものがいる。奴を倒すことができなければ、4組5組ともに全滅ということも考えられる。5組があっさりと4組との同盟に応じたのも、そういった理由がある。
 奴を倒すための具体的なアイデアは、実は何も無かった。5組の学級委員である村西とのミーティングが続いているが、効果的な手段があるとは思えなかった。すると突然、国境方面から叫び声があがった。
 「3組が来やがった!」
 いきなり来たか。
 「こっちも出撃だ!男子は武器を持って突撃!女子は言葉で相手の士気を削げ!」
 僕も黒板消しを手に、3組との国境へ向かった。3組は鼻づまりの兵士を攻撃部隊にまわしていた。そして部隊の中心には、あの脇本。まわりの連中は、年末の大掃除で使った、白い液体ワックスをぶちまけながら突っ込んでくるが、何より恐ろしいのはあの臭いだ。こちらも悪臭に苦しみながら、チョークやら黒板消しやらを投げつけた。相手の顔面を狙ったが、臭いにやられ、コントロールが定まらない。
 「はっはっはっは、てめーらみなごろしにしてやるぜ!」
 3組は勢いを増して突撃してくる。脇本も脇を思いっきり開いて「さあ私を見て」のポーズで迫ってきた。4組の警備兵がバタバタと倒れて行った。5組からの遠征部隊にも被害が出ていた。一之瀬は一旦国境から退くことを決意した。
 「退避!退避!バリケード内に入り、守りを固めろ。」
 あっさりと国境から撤退。2クラスで戦っているのに、撤退とは。屈辱だ。しかし一之瀬は冷静だった。3組が脇本の攻撃力に気を良くし、4組との国境線を越えた時だった。
 「トイレ部隊!行けえ!」
 その声が響くや、3組の背後から植草を中心としたトイレ部隊が現れた。その手にはトイレから取り外された消臭スプレーがあった。
 「目標、脇本。スプレー全開!撃てえぇぇ!」
 一斉にスプレーが放たれた。僕たちにとってそれは美しいハーモニーの様だった。周囲にたち込めた悪臭は、たちまちキンモクセイの香りに変わった。さらにスプレーを相手の顔面に直接噴射して戦闘不能にした。
 5組では村西の怒号が飛ぶ。
 「おらぁ!やっちまえ!」
 4組5組は反撃に転じた。5組は接近戦に強く、特に男子によるプロレス技が効果的だった。3組は大きな損害をだし、やむなく撤退した。惜しくも脇本は討ちもらしたが、これでしばらくは敵からの攻撃という驚異はなくなったと言ってよい。
 目潰しを食らって捕虜となった者達には、悲惨な運命が待ち構えていた。ある者は、くすぐりの拷問で好きな女子の名前を言わされた。
 「えーうそー、お前あいつのこと好きなんだ。」
 と、まわりからさんざんいじられ、からかわれた。
 さらに好きな相手が4組や5組の女子だった場合、本人から直接「何よ、あんたなんか大嫌い。不潔、バイキン、変態、近寄んないで!」なとど言われて、ショックで死んでいった。
 好きな女子の名前を言わない者は、電気あんまの刑に処せられた。いずれも残酷な死に様といえよう。戦力を失った3組は教室を捨て、全員が中央階段から2階へ退却した。

 さて、ひとまずは3組の攻撃をしのいだ僕たちだったが、戦況はすっかり膠着してしまった。1組は西階段を使って立体的な攻撃をしてくると想定していたが、どうやら屋上を中心に部隊を配置していたらしく、他の組と交戦している様子はない。2組は今のところ動きが無い。給食のワゴンを置いておくスペースを占領するかとも思われたが、男子の戦闘力がさほどでもないこともあり、積極的な作戦に出られないようだ。
 かといってこのまま時が過ぎれば、2階をほぼ自由に行き来できる3組が1組あたりと同盟を組みかねない。脇本の脅威も去ったわけではない。
 5組との会議によって、三つの方針が打ち出された。ひとつは、いかなる手段を用いてでも速やかに脇本の脅威を取り除くこと。その上で2階もしくは屋上を制圧し全ての階段を封鎖すること。1階を安全な状態にし、長期戦に備えること。
 当初の目標である3組打倒はいまだ実現していない。しかし、脇本さえ倒せば、3組壊滅と2階制圧を同時に達成できるのだ。やはり脇本を何とかせねば。
 一之瀬はひとつの決断をした。暗殺だ。先程の戦いで、脇本の悪臭に対して消臭スプレーが有効であることはわかった。ならば、至近距離でスプレーを噴霧することができれば、悪臭の脅威に耐えながら脇本を倒すことができる。幸い4組はトイレを制圧している。これをうまく利用するというのだ。
 「この作戦は危険だ。だから信頼の置ける人間で部隊を編成する必要がある。」
 たしかに、相手を倒したとしても、一度被曝するとなかなか臭いがとれない。うまく倒せたとしても、自分は助からないかもしれない。そもそも成功するかどうかも怪しい。
 「だが、やるしかない。」
 一之瀬がそう言うのだ、これは賭けてみるしかない。異論を唱える者はいなかった。これが4組の強さだ。
 「植草、やってくれるな。」
 「おうよ!」
 植草は心地よい返事でもって了承した。一之瀬はあと二人の決死隊の名前を言った。
 「あとは岡部、そして山田が行け!」
 「ええ、僕!?」
 思わず言ってしまった。まさか自分にこの役割が来るとは思ってなかった。しかも、もうひとりは岡ちんだ。植草はスポーツ万能だが、僕も岡ちんも運動オンチで、こんな作戦は到底無理だ。
 「クラスのためなんだ。やってくれるよな。」
 一之瀬が僕たちの肩をポンと叩く。まわりは僕たちを期待の眼差しで見つめた。いやだとは言えなかった。僕と岡ちんはげんなりしていたが、植草は何故かノリノリだった。
 「こうなったらよ、ドハデにやろうぜ!」
 暗殺をドハデにやってどうする。植草のこういう性格も暗殺むきじゃないだろう。どう考えても人選ミスだと思うが、ここまでくるとかえって開き直ってしまうものだ。
 「いっちょやってやるか!」
 「おっしゃ!脇本をキンモクセイの香りにしてやろうぜ!」
 3人とも覚悟が決まった。作戦が成功すれば、5組がすかさず2階に突撃し制圧する。あとは戦力差で圧倒できるはずだ。ここが勝負の分かれ目、僕たちで決めてやる。
 僕たちはトイレに入り、まずは団結の連れションをした。そして各自消臭スプレーを手にする。ワキガが勝つか、消臭スプレーが勝つか。
 「信じてるぜ、大林製薬。」
 植草の一言に思わず笑いが漏れる。
 「それじゃ行くぜ!」
 「おう!」
 作戦が始まった。まずは外側の窓を開け、植草を先頭に校舎外壁の排水パイプを伝って2階まで下りる。これは文字どおり命懸けだ。続いて僕、岡ちんと続く。植草が2階のトイレの窓を慎重に開ける。中の様子を見て、僕たちにOKのサインを出す。中には誰もいないようだ。植草はすぐさま中に躍りこみ、一番窓に近い個室に入った。続いて僕。この瞬間だれかが入ってくるかもしれない。耳を澄まし入口を凝視する。そっと中に入る。すぐさま植草と同じ個室に入る。緊張で息が荒れる。最後は岡ちんだ。窓に足をかけ入ろうとした時、足音が聞こえた。
 戻れ、の合図を出す。岡ちんは慌ててしまい、足を踏み外した。
 「うお!」
 まずい、今の声を聞かれたか?僕たちは必死で動揺を押さえ、息を殺す。男が入ってくる。小便か?もし大便で、この個室に入られたら終わりだ。僕たちは音も無くスプレーをポケットから出した。ジッパーの音が聞こえた。これは小便だろうと確信した。五感がさえわたり、かすかな音でも聞こえる。ジョロジョロという音。僕と植草は互いにうなずいた。男は特に見まわるでもなくトイレを出た。ほっと息をついた。今のが脇本じゃないことは、臭いがしなかったことで分かる。心配なのは岡ちんだ。窓の外を見る。
 「大丈夫か?」
 岡ちんは1mほど下でじっとしていた。足を滑らせただけだった。植草が入口のドアをかすかに開けて外の様子を窺った。入れ入れと手を回している。岡ちんも無事にトイレに到達した。僕たちは3人で個室にこもった。これ以上の人数では隠密行動はとれなかっただろう。
 誰かが来るたびに僕は体が硬直した。ここは敵地、逃げ場は無い。見つかったら終わりだ。それでも植草は悠然としていた。戦いを楽しんでいるかのようにも見えた。ふと、鼻の奥にわずかにツンと突き刺さる感触が走った。臭いというよりも、なにか空気が尖ったような感じだった。植草が僕たちをキッと睨む。その目は「脇本だ」と語っていた。それは僕たちも気づいていた。悪臭よりも先に、鼻に刺激が走る。これは奴だけに特有のものだ。やがてスッパイ臭いがたちこめてきた。この距離でも強烈だぜ。ドアが開く。僕は指で、「行くか」の合図を出した。植草は首を横に振った。奴の放尿が始まってから行こうというつもりだ。植草という男、抜け目が無い。やがて放水の音が聞こえてきた。
 「あああ、もう、おめえって奴は本当に臭えな!」
 うそお、声出しちゃうのかよ。この男、やっぱり隠密行動に向かねえ。
 「だ、だれだ」
 「聞かれて名乗るもおこがましいが。」
 個室を出ておもむろに見栄を切った。こうなったら僕たちも乗るしかない。
 「俺たちは正義の味方、制汗戦隊デオドラント!」
 「松ヶ峰小学校美化委員の名にかけて!」
 「お前を消臭してやるう!」
 スプレー全開で奴を囲む。
 「こ、こんな世界一無防備な状態の時に襲ってくるなんて卑怯だぞ。どこが正義の味方だ!」
 「やかましい!くらええぇ!」
 奴の手は完全にふさがっていて反撃できなかった。僕が左の脇、岡ちんが右の脇、そして植草が顔面を攻撃した。
 「ぶふぉおお、やべろほほお。」
 僕たちは容赦しなかった。スプレーが切れるまで噴射し続けた。そして、僕と岡ちんでそれこそ命懸けで両脇を抱えて、最後は植草がにぎりっぺをかました。しかもそのまま顔に押さえつけている。
 「うぼぼぼぼ、ぐもももも。」
 奴は激しく体を揺さ振って抵抗したが、やがてぐったりとなった。僕たちが手を放すと、ずしんとその巨体を横たえた。
 「お前の屁、くさいよ、強烈・・・。」
 これが脇本の最後の言葉だった。自分であれだけ悪臭を撒き散らしておいて、自分以外の臭いには敏感だったのだ。なんて勝手な奴だ。
 「今の音なんだ!」
 まずい、3組の連中に気づかれたか。
 「山ちん、岡ちん、お前ら先に逃げろ!ここは俺が食い止める。」
 「だ、だけど・・・」
 「いいから行け!」
 岡ちんは急いでトイレを脱出し、排水パイプにつかまった。僕もそれに続く。植草、お前は自分を犠牲にして僕たちを助ける気か。いや、そうではない。なにやら脇本の着ていたシャツを脱がしている。そしてこっちを向いてニヤリとした。
 「うおお、お前ら、やれるもんならやってみろ!」
 そう叫ぶと、ワキガのシャツを振り回しながら突っ込んで行った。やるぜ植草、相手の兵器を逆利用するとは。3組の連中は予想外の事態に、ただ慌てふためいていた。
 「山ちんも早く!」
 岡ちんが上から声をかける。僕もすぐさまパイプを登り始めた。3階のトイレに戻ると一之瀬の信頼する片腕である西正が待機していた。
 「どうだった?」
 「脇本はしとめた。だが植草が・・・。」
 「僕たちを逃がすために、3組に突っ込んで行ったんだ。」
 西正が窓から身を乗り出す。2階で何が起こっているかはわからなかった。
 「うおおー!」
 突然の叫び声とともに、2階の女子トイレの窓からひとつの影が飛び出した。植草だ。
 「おおっ、あいつ女子トイレから飛び降りやがった。」
 着地するなりすぐにこちらを振り向いて、ガッツポーズを見せた。すこし足が痛そうだったけど。
 「おお植草、植草!」
 女子たちの「きゃー!チカン!変態!攻撃」をしのいだというのか。なんて奴だ。僕と岡ちんはハイタッチをした。教室に戻ると西正が叫んだ。
 「作戦は成功!山田と岡部は帰還。植草も無事だ。」
 「いやったあー!」
 みんなが一斉に叫んだ。教室は歓喜に包まれた。
 「これでもう楽勝だ!」
 「賞品はもらったあ!」
 もう勝ったかのような雰囲気だった。一之瀬は僕たちの肩を抱いて言った。
 「いやあ、お前らなら絶対やってくれると思ってたよ!」
 「あれくらい、楽勝だよ。」
 僕らしくも無く、余裕こいて見せた。
 そしてどこからともなく、万歳の声が聞こえた。やがてそれはクラス中を巻き込む大きな歓喜のうねりとなった。
 このとき4組は自信と戦意に満ち溢れていた。険しい戦いの中にも充実感を見いだしていた。必ずや僕たちのクラスから勝者を出すのだ。みんなの眼が、そう語っていた。









クローバ   (2007/01/24)
 不思議な場所を歩いていた。身長の倍くらいの高さがあるガラスケースがいくつも並んでいた。私はそのガラスケースの間を、縫うように歩いていた。なぜだろう、ここはどこなのか、という疑問はわかなかった。いつもの道を歩いているような感覚だった。
 ひとつのガラスケースに目をやる。中には古びた木造家屋が。屋根には大きな看板。左右の端にはチョコレートが描いてある。その間に大きく「クローバ」の文字。ああ、近所の駄菓子屋じゃないか。そこへ幼い頃の私がやってきた。外に置いてある冷凍庫から、あんずアイスの箱を取り出して店の中へ入って行く。なんだよ、ガキのくせに箱買いか。
 隣りのガラスケースを見てみる。こちらもクローバの風景だ。今度は友達と一緒に買いに来ている。
「ねえ、もしかして賞味期限切れたの売ってたりするんじゃないの?」
 その友達はずいぶんときつい質問をしている。店のおばさんはむきになって答える。
「古くなったのは全部私が食べちゃうんだから、店には古い物はないの!」
 納得できるようなできないような答えだが、あの頃そうやってなんとなく丸め込まれたのを憶えている。
 向かいのガラスケースもクローバだ。買いに来る私もずいぶんと大きくなっている。高校の頃だろうか。しかし、店の奥から出てきたおばさんは全然老けていない。若い頃から老け顔だったのだろうけど、10年近く経っていることを考えれば、これは超人的だ。あのおばさん、実はサイボーグだったのだろう。
 別のガラスケースはどうだ。なんと、クローバに車が突っ込んでいる!店の入口は完全に破壊されている。おばさんは無事か。おお、店の脇で「うーん、これは困ったわ」という表情で立っている。さすが、このくらいのことでやられるサイボーグではない。
 他にも、遠足のお菓子を買いに来た時の私や、うまい棒を全種類買ってホクホク顔になっている私、歯医者からの帰り道で、詰め物をしたばかりなのに肉まんを買い食いしている私など、ここのガラスケースにはクローバにまつわる思い出が詰まっていた。ひとつひとつ時間をかけて、じっくりと見てまわった。どれもこれも懐かしい。
 ただ、ひとつだけ、違うものがあった。そのガラスケースはまったくの空っぽだったのだ。これは一体・・・。
 突然鳴り響く電子音のアラーム。混乱する私の視界に飛び込んできたのは見慣れた自分の部屋。携帯電話の目覚しが鳴っている。おぼつかない手つきでアラームを止める。静寂の中、しばし茫然とする。北側の窓からわずかに射し込む西陽。ええと、自分はいま社会人で、今日は夕方から出勤。ああそうか、さっきのは夢か。なんだか頭の中ごちゃごちゃだ。
 軽い食事を済まし、スーツに着替える。そういえば最近はクローバに行ってないな。さすがに三十近くにもなると、子供に混じって駄菓子は買えない。でも、もしかしたら「最近来ないじゃないか」とクローバが催促しているのかもしれない。そんな気がしたから、会社に行く途中で寄ってみることにした。
 店に着くと、日曜日でもないのに閉まっている。ガラズ戸に貼り紙がしてあった。
「このたび店を閉めることになりました。四十年の永きにわたりご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました。」
 クローバが、閉店。しばらく動けなかった。店を閉めたなんて・・・。

 駅までの道のり、私は考えていた。いつまでも変わらないものはない。それなのに自分は、今と同じ暮らし、今日と同じ明日がいつまでも続くと勘違いしていた。だから最後に菓子を買ってあげることもできなかった。おばさんにあいさつをすることもできなかった。そうか、だからあんな夢を見たんだな。きっとクローバが、私の夢の中に挨拶に来てくれたんだな。馬鹿げているかもしれないが、そう思ってもいいよね。
 そして、あの空っぽのガラスケースにはきっと、店の前で寂しそうに佇む私の後ろ姿が収められたのだろう。




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ねむり   (2006/11/24)
 昨夜、僕は母さんに会いに行った。僕の姿を見て母さんはとても喜んでいた。僕らは特にこれといって変わったことをした訳じゃない。普通におしゃべりをして、ご飯を食べて、ただそれだけだったけど、母さんはとても嬉しそうにしていた。その姿を見ていた僕もなんだか嬉しくなった。
 明け方になる頃、僕が「帰らないと」と言うと、母さんは「もっとゆっくりしていきなさいよ」と言ってくれた。僕も帰りたくないけど、そういう訳にもいかない。別れの挨拶をすませると、僕は一度もふりかえらずに帰り道を急いだ。ふりかえったら、母さんのさみしそうな顔が目に焼き付いてしまうから。
 帰ってくる頃には、かなり空も明るくなっていた。僕はベッドに入って目を閉じた。陽の光が、まぶたを通り抜けてくる。もう、みんなが起きてくる頃だ。もうじき僕の体は動かなくなる。食事をすることも、声を出すことも、ねむたそうにあくびをすることだってできなくなる。
 そして今朝もいつものように、看護婦が点滴をうちに来る。僕の体はもう痛みを感じることもない。
 母さんのことを思い出す、昨夜会いに行ったときのことを。今夜、僕の体が自由になったらどこへ行こうか。ちょっと遠くまで行ってみようか。そんなことを考えて、時間が過ぎる。
 お昼を少し過ぎた頃、ドアをノックする音が聞こえる。誰だろう。
「お見舞いに来たわよ」
 母さんの声だった。
「体の調子はどう?」
 うん、いいみたい、と心の中で返事をする。
「ゆうべ母さんね、夢を見たの。夢の中にはあなたが出てきて、一緒にご飯を食べたの。元気なあなたの姿を見てたら嬉しくなっちゃって、それで今日会いに来たの」
 僕に向かって話しかける母さんの顔は、とても明るかった。やっぱり会いに行って良かった。近ごろの母さんは元気がなさそうだったから。
 夕方になって母さんが帰った。それと入れ替わるように、看護婦が点滴をうちにやってきた。みんなはそろそろ晩ご飯だろうか。陽の光はだんだんと赤くなり、やがて遠くの山へ消えていった。そろそろねむくなってきた。みんなはまだ起きてるかな。
 外はすっかり暗くなって、部屋の電気も消えた。さあ、今夜はどこへ行こう。ねむりにおちて僕の体が自由になったら、今夜はどこへ行こう。誰の夢に会いに行こう。








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パーツショップ   (2006/09/24)
 すこし疲れ気味の体調を理由に、定時で会社をあがった。なんとなく、いつもと違う道で帰る。薄暗い空、慣れない道、コウモリがへろへろと飛んでいる。夕暮れ時は心に不安がさし込む。それでも私は大通りを避け、路地を選んで歩く。ふと目に飛び込んだひとつの看板。「パーツショップ」とある。近所にこんな店があるなんて・・・。とても小さな店だ。大都市の通り沿いにあるような、派手な電飾を使った大手のパーツショップとは違ってあまり繁盛してないように見えるが。私はなぜだか、吸い込まれるように中へと入る。
 店の中は薄暗く、思ったよりも奥行きがある。店の棚には商品が所せましと並べられている。そしてこの店の商品は他とは全く違っていた。
 「長いけど太い足」
 「毛深い腕」
 「ちょっと大きすぎる唇」
 「つり上がった細い目」
 商品の特徴を一言で表わした名前がつけられている。しかし、どうも欠点の多い商品ばかりのような気がする。普通なら俳優やタレントなどの、誰もが憧れるような人物のパーツを複製した物を揃えておくのだが。
 「こんなの売れるのかな」
 「意外と売れてますよ」
 店の奥から突然の返事。振り返ると、店の主人が小さなカウンターの向こうに座っている。あわてて振り返り、わびる。
 「これは失礼。ただ、この店の商品がとても変わっていたので」
 「みなさんそうおっしゃいますよ。たいていの人は有名人だのモデルだののパーツを欲しがりますから」
 だれでも自分を格好よく、美しく見せたいと思うもの。ならばこの店にあるようなパーツは誰も買わないのではと思ってしまう。
 「じゃあ、この店の商品は一体・・・」
 「今ではみな御自分の体を、俳優やモデルの体を複製して量産されたパーツと交換するようになりました。その時に不要になった御自分のパーツは下取りに出してしまいます。うちではそういったものを買い取って、商売をさせていただいてます」
 なるほど、それで欠点の多い商品ばかりなのか。でもそれならこの店にある物は、どれも人工物でない天然物ということか。どうりで、この店には同じ物が二つとない。
 「最近では全身を量産品と交換してしまって、確かに美しいのだけど個性が無い人ばかりでしょう。だから体の一部にわざと欠点を持たせて、アンバランスにして、それを御自分の個性になさっている方が増えているのです。そういう方がうちの商品を買われるのですよ」
 そういうことか、それでもやっぱりどう見ても売れそうにないものもある。
 「偏平足」だとか「しわだらけの手」などは一体だれが買うのかと思ってしまう。
 主人は言う。
 「どんなに醜く思えても、大事なのは個性ですよ。やはり自分のパーツが良いと言って、買い戻しに来るお客様もいらっしゃいますよ。思い入れのある、自分の体ですから。ところで・・・」
 「今日はどういったパーツをお探しで?」
 「あ、いや、ちょっと立ち寄ってみただけで・・・」
 主人はこちらの方をまじまじと見ている。
 「失礼ですが、お客様はパーツ交換を一切なさっていないようで」
 「ええ、まあ」
 会社の同僚はみな人気のパーツで全身を固め、それを時代の流行に合わせてこまめに取り替えている。だからモデルのようにスタイルがよく、俳優のような美しい顔で、且つ極めて無個性だ。私は違う。私は自分の体を気に入っている。妙に白い肌も、不格好なオー脚も、たいしてハンサムでもない顔も、全てが親から授かった自分だけの物だ。他の誰とも違う。
 「どうですか、パーツを変えると気分も変わりますよ」
 パーツ交換など今まで考えたこともなかった。自分の体を量産品と取り替えるなど、想像するだけでも不気味だった。だが、この店のパーツは不格好ながらも、どれも個性にあふれている。この店のパーツなら試してみてもいいかもしれない、そんな気分になった。
 「そうだな、じゃあひとつもらおうかな」
 「ありがとうございます。どれになさいますか」
 実はさっきから気になっている物がある。
 「この“感傷的な瞳”というのは?」
 「それはこの近くに住む高校生が、男のくせにちょっとしたことですぐに泣いてしまう自分が女々しくて嫌だ、と言って売っていった物です」
 感傷的という妙に抽象的な名がどうにも心ひかれるのだ。私はこれに決めた。
 「すぐにお取り付けいたしましょうか。1時間ほどでできますが」
 「ええ、お願いします」
 「では奥でいたしますので、こちらへどうぞ」



 パーツの交換を終え、私は店を出た。陽はもう沈んでいて、東の空から暗くなっている。新しいパーツは意外なほどなじんでいる。もっと大変なものかと思っていたが・・・。
 「俺もとうとう・・・」
 ひとつつぶやいてみる。私もとうとう、自分の体に手を加えた。後悔の気持ちはない。ただ、予想以上にあっさりと交換できたせいか、さほどの新鮮味も無い。本当に、どうってことない。みんなが気軽にあれこれとパーツ交換する気持ちが少し分かった気がする。ただ、この“感傷的な瞳”は、すっかり涼しくなった秋の乾いた風が、枯れ葉を巻き込んでくるくると舞っているのを見ただけで、もろくも涙を流してしまうのだった。












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夏のはじまりに   (2006/07/24)
 会社からの帰り、何の前触れもない夕立。急いでビルの軒下に入る。
 「この時期の予報はあてにならねえ」
 ひとつ呟く。降りはかなり強く、道路脇があっという間に川のようになった。僕はずぶ濡れになったワイシャツをみて、昔のことを思い出していた。
 「そういやあの時も、こんな風にシャツをずぶ濡れにして帰ったんだよな」
 それは中学一年の夏、ある放課後のことだった。


 授業が終わり、僕はいつものように理科室へと向かった。僕の所属する「アマチュア無線部」の活動場所だ。アマチュア無線部というのは、無線機を使って電波を出して、どこかの知らない誰かと会話して、無線交信した証になるカードみたいな物を相手に郵送して、そんなことをやったりやらなかったりする部活だ。
 この日は30人くらいが理科室にいて、ずいぶんと賑やかだった。ちなみに無線部の部員数は全部で20人もいない。ここにいるほとんどが部外者だ。部活に出てくる人数はまちまちで、少ない時だと5人といないこともある。そうかと思うと今日のように、やたらと人が集まったりする。なんとも不思議な所だ。
 「なんか人がいっぱいいますね、なんかあるんですか?」
 「いや何も、そういや何でこんなにいるんだ?」
 いつもこんな調子である。これでは真面目に無線交信などできる雰囲気ではない。さっき「やったりやらなかったりする」と言ったのはこういうことである。もっとも真面目と不真面目のさかい目もハッキリしないのだが。無線交信はいいとしても、「写ルンです」のフラッシュ部分を改造してスタンガンもどきを作ったりするのはとても真面目とは言えないのだが、作っている先輩たちの表情は真面目そのものである。だから今日も、「無線」はできなくとも「部活」はするのだろう。
 ふと見ると、部外者の連中が何やら理科室のものをゴソゴソとあさっている。ここは理科室だけあって、いろんな物がある。どうやら蒸留水を入れるボトルに興味を引かれたようだ。高さ10センチくらいの塩化ビニール製のボトルで、蓋の部分には先の細い管がついている。水を入れてボトルを押してやると、管の先から勢いよく水が飛ぶ。彼らはさっそく水を入れて、水鉄砲みたいにして遊んでいる。やられた方も負けじとボトルに水を補給し反撃している。それがだんだんとエスカレートして、水鉄砲紛争になってきた。ついには誰かが水の入ったボトルごと投げつけて、
 「てりゅーだーん」
 などと叫んでいた。手榴弾はある先輩のカバンに着弾した。
 「なにしやがんだこのヤロー」
 その先輩は本気で怒っているようだった。
 「あーあ、こんなに濡れてるじゃねえか。くっそ、みてろよ。今から家に帰ってエアガン持って来てやるからな。そんな水鉄砲とはワケが違うぜ」
 先輩は理科室を飛び出していった。僕たちはその先輩を放っておいて、本格的に水鉄砲ごっこをやろうと、椅子を積み上げてバリケードを作り始めた。理科室が南北二つの勢力に別れ、水鉄砲紛争は今や全面衝突へと発展したのである。理科室だけあって水道の蛇口は多く、南北ともに資源は確保されていた。
 外人部隊(部外者)には体育系の部活が多く、両軍ともに士気・能力は高かった。補給が楽なこともあり、機関砲(ボトル)からは絶え間無く弾丸(水道水)が発射された。予想以上に射程は長く、敵陣まで余裕で届く。国境(理科室中央)付近にカバンを置き忘れた奴は、まずカバンが狙われた。教科書の入ったカバンに、容赦なく手榴弾(管のないボトル)が投げつけられるのだ。それを取りに行けば集中砲火(集中放水)が浴びせられる。そうなれば即死(パンツまでずぶ濡れ)だ。また、手榴弾の威力は高かったが、敵陣に投げ込むとすぐに給水され、投げ返されてしまう。なかなか味な反撃だ。両軍の死者(しつこいようだがパンツまでずぶ濡れ)はおびただしい数になった。それでも兵士の士気は依然として高く(だって面白いんだもん)、戦いはいつまでも終わらぬかのように思われた。しかし、それは突然訪れた。
 「お前ら何やってんだあ!」
 射撃が一斉に止む。戦争は終わった(先生に見つかった)のだ。


 僕たちは、ずぶ濡れで職員室前の廊下に並ばされた。そしてこれから裁判(説教)が始まるのだ。
 「お前ら何部だ」
 みんなキョロキョロと顔を見合っている。
 「何部というか・・・」
 「どうした、答えろ」
 「僕は無線部です」
 「僕は科学部です」
 「僕は卓球部で・・・」
 「ちょっと待て!お前ら何なんだ。と、とりあえず、いつもあの教室を使ってるのはどこなんだ」
 「アマチュア無線部です」
 「それじゃ端から所属する部を言ってみろ」
 「アマチュア無線部です」
 「無線部です」
 「科学部です」
 「科学部です」
 「卓球部です」
 「硬式テニス部です」
 「バスケ部です」
 「軟式テニス部です」
 「サッカー部です」
 「バドミントン部です」
 「部外者の方が多いじゃねえか!」
 先生が呆れるのも無理はないと思う。部外者の方が多い部活動って、確かにおかしい、当事者だけど。
 その後、僕たちはこっぴどく叱られた。ずぶ濡れの姿で廊下に立たされて説教されている姿は、さぞかし情けなかっただろう。
 「顧問の先生に言っておくからな! 無線部!お前らは停部だ! とりあえず解散」
 僕たちはトボトボと理科室に戻った。部外者の連中も、言葉も無く帰っていった。水鉄砲で遊んでて活動停止かよ、カッコ悪いよ、理由が。俺たちは「部活」をやっただけじゃんか。もっとも、今日の「部活」はハメをはずし過ぎたかもしれない。教室に会話はほとんど無い。ただ「はあ、何やってんだ俺達は」的な空気が流れる。そんな空気を切り裂くように、例の先輩が戻ってきた。
 「待たせたなクソ野郎共! さっきはよくもやってくれたな! このM-16でテメエら皆殺しにしてやるぜっ!」
 と威勢よく飛び込んできたものの、みんなのリアクションは全く無い。
 「あれ、どうしたの?撃ち合いは?」
 「バーカ! もう終わったんだよ」
 「え、そうなの。何でやめちゃったの?」
 「先生にバレたんだよ! 俺たち停部かもしれねえ」
 先輩はバツが悪そうにして銃を降ろした。弾を撃ち尽くしてやるぜくらいのテンションで来たのだろうが、結局彼のM-16からは一発のBB弾も発射されることはなかった。
 僕は友達とふたり、ずぶ濡れで帰った。部活の方は結局、二週間の活動停止と決まった。あの日以来、部活ができないまま夏休みに突入してしまったのだ。


 ずぶ濡れのワイシャツを見る。あの時は馬鹿なことをしたと思ったけど、今にしてみればいい思い出だ。ついつい顔がにやける。いかんいかん、傍から見たらキモいぞ。あわてて表情を直す。
 雨があがった。今年も夏が来た。そうだ、あの夏も、はじまりはずぶ濡れのワイシャツだったんだ。







今回の作品はいかかでしたか?
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電車の撮りかた教えま   (2006/05/24)
 さて今回は、読者の皆様から「鉄道写真の撮り方を教えて欲しい」という要望など全く無かったにもかかわらず、私の独断で鉄道写真撮影講座を開きたいと思います。題して、電車の撮りかた教えま「プワーンガタンガタンゴーガタンガタンゴー」、あ、すいません「ガタンガタン」今ちょっと「ゴーゴー」特急列車が「ガタンガタン」通過しているので「ガタンゴーゴー」うるさいかもしれ「ガタンガタンタタンタタン」
 いやあやっと行きましたね。さて、まずは用意していただくものですが、カメラ。これはどうしても必要でしょう、ええ。無かったら撮影できませんから。カメラはどんなものでも結構です。高級一眼レフでもコンパクトデジカメでも、それこそ「使い捨てカメラ」と呼ばれるようなレンズ付きフィルムでも構いません。そんなもので撮れるのかと思うかもしれませんが、レンズ付きフィルムを馬鹿にしてはいけません。持ち運びの便利さ、手軽さだけでなく、レンズ付きフィルムにはピンボケがありません。これは初心者にとっては大きなメリットではないでしょうか。なぜピンボケが無いかというと、レンズの「ピィーダダンダダンダダンガッガッガッガッガッガッガッガッガッ」という原理によっ「ガッタンガッタンガッタン」の場合と違って「ダッダンダッダンダッダンダッダンタッタンタタン」という訳なんですね。今、貨物列車が通過したので少々聞き取りづらかったかもしれませんが、要するにそういう訳です。
 次に撮影する場所ですが、これは私が今いる場所、すなわち駅が良いでしょう。手軽に行くことができるだけでなく、駅のホームというのは列車に最も接近できる施設なわけですから、迫力のある写真を撮る上でも便利であると思います。ただし、駅はあくまでも乗降のための施設であって、撮影のための施設ではありません。なので、まわりの利用客に迷惑がかからないように配慮すべきです。
 では、実際にカメラを構えてみることにしましょうか。カメラを構える時は、両足を肩幅くらいに広げて、少し「ピピピピー、ちょっとそこの人」
 え、俺?
 「そこで写真撮るのやめてもらえないかなあ」
 「ええっ、まだ一枚も撮ってないんですけど」
 「でもここは撮影禁止だからね」
 「え、だって別にマナーが悪いとか迷惑かけたとかじゃないでしょ」
 「はい、いいから行こうね」
 「ちょ、ちょっ待って、俺は別に善いこともしてないが、悪いこともしてない!」
 「はーい、おとなしく来ようね」
 「こ、このように、駅で撮ろうとすると強制退去させられる場合もあるので気をつけましょう。あ、特急が、スーパーゴージャスゴールデンあずさ1101号がぁ」
 プワーンガタンガタンゴゴーガタンガタンゴゴーガタンガタン

駅での撮影はみごと撃沈。駅間の線路際へと移動することに。

 先ほどは大変失礼しました。やはり駅での撮影は良くないですね。こういう時は駅から出て、線路際で撮るのが良いでしょう。特に地方のローカル線などは、のどかな雰囲気の伝わる写真が撮れるので良いのではないでしょうか。うん、やっぱり田舎は良いなあ。スローライフですよ。空は青いし「ゲェコゲェコ」、空気はきれいだし「ゲェコゲェコ」、誰もいないし「ゲェコゲェコ」、なにしろ「ゲェコゲェコ」都会と違って静かで「ゲェコゲェコ」って、さっきからうるせえよ!なんなんだよこのカエルの大合唱はよ!東京から少し離れただけで何だよ、この田舎っぷりはよ!
 まあそんなわけで、今度はカエルのせいで聞き取りづらい事があるかもしれませんが、撮影講座を続けたいと思います。
 さて、今いる場所は駅ではないので、当然列車は停まることなく走り去ってしまいます。列車という高速で移動する被写体を、ぶれることなく写し止めるためには、シャッタースピートを速めることが必要になってきます。具体的には「ゲェコゲェコ」秒から「ゲェコゲコグェッグェ」秒くらいがいいでしょう。「ゲェコゲコグェッグェ」秒というと、飛んでいるハエでも「ブゥーンブンブーン」止まっているように「ブゥンブンブーン」写すことができる「ブゥーン」、なんで本当にハエが飛んでんだよ!「ブゥンブゥン」こっち来んなよ、うぜえ!
 お、そんな事をしている間に列車が来ましたよ。走ってくる列車を撮る時は気分を落ち着けるために、深呼吸をしましょう。
 スゥー、ゴホゴホゲヘゲホ。
 くせえ、なんだこのバキュームカーの香りは。うわ、うそだろ、こんなところに「ブゥーン」溜めがあるじゃねえか。こんな近くに肥え「ブゥン」があったら臭えに決まってるよ。ちくしょう、今どき天然肥料かよ、何だよそのこだわりの野菜づくりはよ。
 そんなことより列車が来たよ!早く、深呼吸だ!鼻をふさいで深呼吸だ。
 スゥー、ハァー、スゥー、ウプッ、ゴホッゴホッ!
 なんか口に入った!ハエだ、ハエが口の中に!まさか「ブゥン」溜めにタッチアンドゴーしたハエじゃねえだろうな!
 ゲェホゲホゲホ!オゲェフォ!オヴォヘヤ!エヴェヒャイ!
 なんでケンシロウにやられたモヒカン雑魚キャラの断末魔みたいな声を出さなくちゃいけないんだ。それより、早くカメラを、意地でも撮るぞ!
 パシャ。
 あー、ゲホゲホ、なんとかゲホゲホ、撮ることができました。とりあえず、お茶でうがいだ。ガラガラガラ、ペッ。ふう、少し落ち着いた。さて、それでは先ほどの成果をさっそく見てみることにしましょう。こういう時デジカメだとすぐに見れるのが良いですね。どれどれ、えーっと、何も走ってない線路と、遠くの山と、「ブゥン」溜めしか写ってねえ。


沿線での撮影もみごと憤死、再び駅での撮影に挑む


 いやあ、さっきはひどい目にあいました。やっぱりね、駅で撮るのが良いですよ、ええ。
 さて、カメラの基本、シャッタースピード、と来て次にお話するのは「露出」に関することです。露出、聞いた事があるでしょうか。露出というのは簡単に言えば、光の量です。光の量が多ければ、つまり明るければ露出がある、露出が多いということであり、暗ければ、露出が無い、露出が少ないという事になります。露出に関してはマニュアル操作もできますが、最初のうちは露出はオートでも「あー、ちょっとすいません」
 え、係員がいっぱい来た。何、また追い出されるのか?
 「ちょっとどいてもらっていいですか?」
 「あ、すみません」
 そうそう言い忘れてましたが、駅のホーム端で撮影する場合、このように保線などの係員さんが通る場合がありますので、邪魔にならないように立ち位置を工夫しましょう。それにしてもこの集団は何なんでしょう。みんな線路に降りていきます。点検作業と、その研修でしょうか。まあいいでしょう。話を戻して露出ですが・・・
 「電車の写真撮ってるんですか?」
 女の人の声、振り返ると鉄道会社の制服を着た女の子が立っている。さっきの集団のひとりだろうか。
 「ええ、まあ、今日はまだ成果が無いですけど」
 ちょっと待てよ、メチャかわいい。へえ、こんなかわいい人が鉄道会社にいるんだ。ああ、そんな事より、露出が、
 「電車が好きなんですか」
 「ええ、まあ。それよりみんなと一緒じゃなくていいんですか?」
 「私だけヘルメット無いから来ちゃ駄目って言われたんですよー」
 「そうですか」
 ていうか、みんな行っちゃったから、この娘と二人っきりなんだけど・・・、やばい、なんかドキドキしてきた。ああ、なに考えてんだ、撮影講座はどうした。そうだ、露出だ。それにしても、この娘スカート短くないか。制服でそんなに短くていいのか。フトモモの露出がすごいぞ。ただでさえ俺はフトモモ大好き制服フェチなのに、顔もカワイイし、この娘はなんかエッチだ。英語で言う所のエロ、ドイツ語で言う所のミハエロシューマッハーだ。ああ混乱してるぞ俺。小学生でも言わないようなくだらないことを。集中せい、露出だ、フトモモだ、いやいやそうじゃない。
 「今日はいいお天気だから撮影日和ですね」
 「そ、そうですね」
 黙っててくれよフトモモ。いまロシアの、いやいや露出の話をしようと、ていうか今見たら、この娘、オッパイもデカい。いわゆる巨乳だ、それこそロケット乳だ、ロシア語でいうところのスプートニク乳だ。大変だ、俺のモスラの幼虫が成長を始めてしまった。くっ、これでは立つことすらままならん。ひとまず時刻表を見るフリをして、しゃがんでやり過ごすぞ。ああ、いかん、すぐに特急列車が来るぞ。しかも、今度来るのは臨時特急「グレートエレガントスーパーエクスプレス901号」じゃないか。絶好の被写体だ。それなのにこんな状態で。くっ情けない。
 「あれ、特急が来ましたよ、撮らなくていいんですか」
 「え、ええ、もうあれは今まで飽きるほど撮りましたから」
 「そうですか」
 そんなわけねえだろー。撮るの初めてだよぉ、撮りてえよー。だけどフトモモ「プワーン」乳な女の子見てたらボッ「ガタンガタン」って、立つことができ「ゴーゴーゴーゴー」ったからしゃがんで「ガタンガタン」それこそ当社比1.5「ゴーゴーゴーゴー」レたら恥ずか「ガタンガタンタタンタタン」んて言えるわけねえもんなあ。ああ、行っちゃったよお。くそ、全部フトモモのせいだ。
 でも、次にはまだ、今日の本命ともいえる列車が控えている。今や無くなりつつある寝台特急の「ゴージャス&ビューティフルミッドナイトリミテッドエクスプレス」だ。最悪これさえ撮れれば今日は良しとしよう。それまでにはモスラも落ち着いているだろう。
 よし、遠くにヘッドライトが見えた、来たぞ。モスラも問題無しだ。そろそろ立つか。
 「ねえ、さっきからしゃがんでるけど気分悪いんですか?」
 おっと、もう列車が来るというのに話かけるんじゃないよ。
 「いえ、大丈夫で…」
 おいちょっと待て、そんなに短いスカートでしゃがんだら、しゃがんじゃったら・・・。「プワーン」ツが見えちゃうじゃないか!「ガタンガタン」れでもう俺のモス「ゴーゴーゴーゴー」血液が集中しサナギを経て成虫「ガタンガタン」属バット並みの固「ゴーゴーゴーゴー」1.5倍どころか2倍「ガタンガタン」くに動けない「ゴーゴーゴーゴー」もある意味ラッ「ガタンガタン」っちょが少しヌル「ゴーゴーゴーゴー」そういや撮影講「ガタンガタン」どうでもい「ゴーゴーゴーゴー」ばらく観賞し「ガタンガタン」「タタンタタン」「タタンタタン」。


おわり


今回の作品を読んで、撮影の際の参考になった、持病のリウマチが治った、おもわず当社比1.5倍になった、という方は下のバナーをクリック!





青緑の君に   (2006/03/24)
「白いヤツはやめよう」
 大学の帰り道、先輩がそう言うから、僕たちは青緑の君を待った。あの頃、東海村の原発で爆発事故があって、白いヤツはその現場ちかくを通っていたから、避ける人達もいた。青緑の君はそんな所に行ったことがない事を、みんな知っていたから、僕たちは青緑の君を待った。謂れなき理由で嫌われ者になってしまった白いヤツに、すこし同情のまなざしを向けながら、僕たちは君が来るのを待っていた。やがて遠くに見えたヘッドライトは、君のおでこのあたりで光っていた。だからすぐに君だと分かった。ひとつに見えたヘッドライトは、やがて二つに分かれた。君は青緑の体を蛍光灯の光にさらして、滑り込んできた。
「よし、これなら大丈夫だよな」
 さっきまで不安がっていた先輩は、君の姿を見るなり安心して、乗り込んでいったよ。
「先輩は気にしすぎです」
 僕はその時そう言ったけど、本当は僕も少し不安だった。しばらくは君がいてくれないと、安心して大学に通うこともできないかもしれない。そう思ったんだ。
 僕たちはシートに腰を下ろした。ちょっとやわらかすぎるんじゃないか。だけど、その優しい座りごこちは、僕にとっては君だけがくれた、他では味わえないものだったね。
 君の名前は常磐線103系電車。大学の頃は、本当にいつもお世話になったね。
 そう、いつだったか、君の柔らかすぎるシートのせいで寝過ごしたことがあった。本当は北千住で降りなきゃいけなかったのに、気付いたら三河島だった。慌てて降りたよ。それで、戻ろうと思ったけど、白いヤツは停まってくれないんだ。ここは昔に悲しい事故のあったところだから、こんなこと大の男が言うと情けないと思われるかもしれないけど、急に心細くなって、ひどく淋しかった。白くて長い鋼鉄の列が走り去っていくのを、ただ見送るだけだった。だから君が来てくれた時、安心した。心底ほっとしたんだ。
 卒業して、常磐線に乗らなくなって、本当の事を言うと、あまり君の事を気にかけなくなっていた。新しい車両が入ってきて、君の仲間が少なくなっている事は知っていたけど、でも、君はまだまだ大丈夫だと思っていたから。
 ある秋の日に、後輩に呼ばれて大学の学園祭に行った時、久しぶりに常磐線に乗ったよ。そしたらね、君の姿を全然見かけなかった。行きも帰りも、乗る事はおろか、見かける事も無かった。その時に初めて、終わりが近い事を実感した。だから僕はあせって、急に君の事を大切に思うようになった。どうしてだろうね。大学の頃は毎日乗ってたのにね。
 気がついたら君は最後の1編成になっていた。仲間を失って、さぞかし孤独だろうと思った。車庫の片隅で、力無く最後の時を待っていることだろうと思っていた。だけど違った。君はいつものように、やたらと長い編成で、ひときわ喧しいモーター音を轟かせて、元気いっぱい走り抜けていたね。快速の停まらない駅で電車を待っている客達に、そのスピードを見せつけていたね。
 最後に一本だけ残ったのは、僕たちに別れの時までの猶予を与えてくれているのだと思った。だけど、君の元気な姿を見ていたら、本当にまだまだやれそうで、かえって名残惜しくなっちゃったよ。
 僕にできる事は、君の勇姿を記録にとどめることと、脳裏に刻み付けることくらいだから、あちこちに行っては君の写真を撮った。そして君の姿を、しっかりと目に焼き付けた。
 去年の夏にはもう廃車という話も出ていたっけ。その後、秋までの命と言われて、とうとう冬も越しちゃったね。本当にがんばってくれたと思う。
 そして君と別れる春が来たよ。君は覚悟するだけの時間を十分に与えてくれたから、僕は悲しんだりしない。ただ君は、全身青緑なんてインパクトのある姿だったから、いなくなるのはやっぱり寂しいよ。
 青緑の君を、僕は忘れない。柏の駅で、仲間たちと一緒に、ただ君だけを待っていた事。三河島の駅で、君だけが頼りだった事。毎日毎日、僕達を運んでくれた事。僕は忘れない。
 青緑の君に、ありがとう。どうか、安らかに。




 今回の作品「青緑の君に」はいかがでしたか。バナークリックへのご協力をお願いいたします。






ドラいぜん   (2006/01/24)
 ピッチャーの投げたボールは、明らかに僕の方へ向かって来ている。とっさにしゃがみ込む。球すじは思ったよりも低い。ボールは僕のほほにめり込んだ。首が向きたくもない方向へ向く。青い空には星が見えて、すぐに夜みたいに真っ暗になった。
「…太さん、大丈夫? のび太さん」
 しずかちゃんの声だ。
「のび太さん、しっかり」
「しずか…ちゃん」
「よかった、気が付いたのね」
 僕は気を失っていたようだ。視界には晴れわたる秋の空としずかちゃんの顔。女神のようだ。僕の頭はふとももの上に乗っているようだ。ひざまくらをしてくれたのかな。なんて優しいんだ。
「野比君、大丈夫かい?」
 うっ、突然邪魔な物体が現れた。奴の名前は出来杉。僕の恋のライバルだ。
「のび太さん、大丈夫?出来杉さんが介抱してくれたのよ」
 え、よく見ると、僕の頭の下にあるふとももは…。
「出来杉のかよ!」
 僕は思わず飛び上がった。
「わ、びっくりした。そんなに元気なら、大丈夫そうだね」
 夢心地は一瞬で消え失せた。なんだって男にひざまくらなんかされなきゃいけないんだ。
「のび太さん、お礼くらい言いなさいよ」
 ああ、確かに感謝してるよ出来杉君。介抱してくれてありがと。だけどなぜだろう、いま僕はすごく君をぶん殴りたい。
「お、目が覚めたのか、のび太」
 この声はスネ夫だ。
「顔からボールに当たりに行くなんて、のび太らしいや」
 そのイヤミな物言いと、三次元化不可能な髪型は昔から変わらない。
「さっきは何であんなに驚いてたんだよ。さてはしずかちゃんに膝枕してもらってる夢でも見てたんだろ」
 何故こうまで見抜かれるのだろう。この男も本当にうっとおしい。だが、一番やっかいなのは…。
「ぬおぉび太あぁ!」
 地鳴りのような低い声。ジャイアン、その人である。
「何やってんだ!早く一塁に行け!」
 えっ、僕に一塁に行けと? いままで気を失っていたのに?
「早くしろ!早く!」
「わ、わかったよ」
 こんなことってあるんだろうか。顔面にデッドボールを食らって、気を失っていた人間に向かって、一塁に行け、早く、なんて人の子の言うセリフだろうか。僕はメガネをかけ直す。ちょっと歪んでいる。
「のび太さん、しっかり!」
 しずかちゃんが、笑顔で僕を送り出してくれる。でも、ちょっと残酷。本当は、のび太さんは無理だから勘弁してあげて、とか言って欲しかった。
 一塁に立つと、ベンチにしずかちゃんと出来杉が並んで座っているのが見える。僕はケガをおして一塁ランナーとしてここに立っているのに、五体満足な出来杉は、しずかちゃんの隣りで野球観戦だ。憎たらしくて妬ましかった。僕は出来杉のことを、ずっとにらみつけていた。
「アウト! ゲームセット」
 え、何なに? 何があったの? 気がつくとボールは一塁手のグローブの中にある。まさか、僕はタッチアウトになったのか。
「のび太あ!お前なにやってんだ!」
 デッドボールで出塁して、一塁けん制死。こんなみじめな負け方があるだろうか。いや、負けるだけならいい。恐ろしいのはジャイアンの怒りようだ。
「のび太!今日の試合に負けたのは完全にお前のせいだ」
 やっぱりそう来たか。
「そうだそうだ、お前がヘマしなきゃ逆転してたかもしれないのに」
 そういうスネ夫だって、今日は三振ばっかりだったじゃないか。全ての責任を僕におっかぶせようと必死だな。
「のび太、お前はいつもいつもチームの足を引っ張りやがって。今日という今日は、もう我慢できねえ。お前だけ居残りで千本ノックだ」
「えー、やだよそんなの」
「いいからやるんだよ!」
「やーい、ざま見ろのび太」
「スネ夫、お前は球出しをしろ」
「え、いや、僕は早く帰らないとママに怒られ…」
「や・る・よ・な!」
「やりますやります、やらせていただきます」
 こうして僕とスネ夫はジャイアンの特訓に付き合わされることになった。ノックはあたりが暗くなるまで続いた。僕はヘロヘロになって家に帰った。
「ただいま」
「のびちゃん、こんな時間まで何してたの!」
 ママの頭に角が生えてる。わかってたんだよ、こうなるの。いつものパターンだもの。
「服もドロだらけにして! 今日という今日は許しませんからね!」
「ガミガミガミガミ、ガミガミ、ガミガミガミ」
 今日のお説教はいつもの2倍だった。そして晩ご飯抜きのおまけまで付いた。
 神様、教えて下さい。僕はそんなに悪いことをしたでしょうか。怪我にめげずに試合に出たじゃないですか。そりゃ僕のせいで負けたかもしれませんが、目の前で好きな人が別の男と仲良さそうにしていたら、冷静じゃいられないものではないでしょうか。僕はその後、ジャイアンという男に特訓と称したイジメを受けていました。心も体も傷ついて、やっとの思いで帰って来たら、親は事情も聞かずに僕を叱り付けた上、兵糧攻めにするのです。この腫れ上がったほっぺたを、少しも心配すること無くです。
 神様、教えて下さい。世の中に、こんなにかわいそうな小学生がいるでしょうか。今日みたいな日は、決して珍しいことではないのです。いつもだいたいこんな感じなのです。こんな日々がいつまで続くのでしょうか。いつの日か、思い出になって、笑える日は来るのでしょうか。
 神様の声なんて、聞こえるはずも無かった。
 僕は仕方なく、ふとんにもぐる。さんざんな目にあって、お腹も減って、こんな日は眠れるはずも無い。と思いきや、あっというまに意識が消える。そう、僕の得意なことといったら、寝ることくらいだ。


「野比君、宿題はやってきたかね」
「すいません、忘れました」
「君はいつも忘れてくるね。反省というものが無いのかね」
 昨日はノックをしていて、宿題どころじゃありませんでした。なんて言ってもわかってはくれないだろう。
「罰として、廊下に立ってなさい」
 僕はいつものように、掃除用具入れからバケツを二つ取り出し、廊下に出て行く。水を入れる時は、四つの蛇口を同時に使って二つのバケツを一気に満たす。手慣れたものだ。そして、最初に先生が見に来るまでは、真面目にバケツを持つ。先生が教室に戻ったら、音を出さないように慎重にバケツを床に置く。先生が来るタイミングはもうわかっているから、それ以外の時は座っていようが寝転がっていようが、わかりはしない。学校に来て身についているものといえば、このくらいだ。
 僕は何のために生きているんだろう。いつもいつも、こんなみじめな思いをするために生まれて来たんだろうか。僕に何かできる事があるだろうか。ひとつでも僕の願いがかなう事があるだろうか。きっと、ありはしない。
 放課後、僕はジャイアンに呼び出されてこう言われた。
「今日も特訓だからな、覚悟しとけよ!」
 僕は力なく、わかったよ、とだけ言った。ジャイアンの表情は意外そうだった。あまりにも素直だったからかもしれない。僕は学校を出ると、家には向かわず、大通りの方へ歩いた。自然と足が向いた。このままジャイアンの言う通りにすれば、またボロボロになるまで特訓させられて、またママに叱られて、また宿題もできずに次の日が来て、また廊下に立たされて、そしてまたボロボロになるまで特訓を受けるのだろう。
 もういい。もうわかった。僕の人生はこんな毎日が続いていくのだ。きっと一生ジャイアンの言いなりで、スネ夫にからかわれ続けて、しずかちゃんは出来杉と結婚して、きっと僕だけみじめなままなんだ。
 大通り沿いの十階建ての新しいマンションに、僕は吸い込まれるように入っていた。屋上へあがると、すぐさま柵を乗り越えた。
「パパ、ママごめんね。僕はもう耐えられない」
 少し冷たい風が、耳元で寂しい音を鳴らす。
 一歩、二歩と歩みを進める。もう自分の意思かどうかもわからなくなって来た。ぎりぎりの所まで来て、下を覗き込んだ。
 高い。
 無理無理無理、絶対無理!
 僕は慌てて柵にしがみついた。自殺なんて無理。だってこんな高い所から飛び降りたら死んじゃうもの!
 完全にパニックだ。歯がガチガチいっている。体も震えている。あわわあわわと言いながら、柵を乗り越えて戻った。息があがっている。僕はその場に倒れ込んだ。自分の呼吸の音以外には、何も聞こえなし、それ以外のことは、何も判断できなかった。
 しばらくして、少し落ち着いて、なんだか暖かいなと思った。僕の体を太陽がくまなく照らしていた。風も止んでいた。空はさわやかな青で、雲がのんきに流れていた。
「良い天気だな」
 空にママの顔が浮かぶ。
「のびちゃん、おやつよ」やさしく微笑む。
「のび太、今日は臨時のこづかいをやろう」パパが満足げに笑う。
「のび太、お前もウチに来いよ」スネ夫、新しいラジコンを買ってもらったのか。
「のび太さん、一緒に宿題しましょ」しずかちゃんの笑顔は本当にまぶしい。
「のび太!心の友よ」ジャイアンが、そんな事を言ったこともあったな。
 みんなの顔が浮かんできて、勢揃いして、すぐに涙でゆがんでわからなくなった。
 優しくされたことを忘れて、楽しく過ごしたことも忘れて、僕は死のうとしていたのか。情けなかった。本当に情けなかった。情けないと思ったら、また涙が出た。
 気が済むまで泣いて、しばらく空を眺めていた。ひとつあくびをして、僕は目を閉じた。いつもの昼寝のように、すぐに眠ることができた。
 目が覚めた時には、陽はすっかり傾いて、学校の裏山に沈みそうだった。ああ、こんなふうに、嫌なことも眠って忘れて、こうして生きていくのかもしれない。そう思った。


「ただいま」
 学校からの帰りが遅かったから、ママは心配しているだろうか。
「どこに行ってたの、こんな時間まで」
 マンションから飛び降りるのをためらって昼寝してたなんて、言えるわけがない。僕は話をごまかそうとした。
「ねえ、今日の晩ご飯はなに?」
「のびちゃんの好物のハンバーグよ」
 好物のハンバーグ、どうして。こんな遅くまで帰らなかったのに、叱ることもなく、ハンバーグ。もしかしてママは、昨日のことも、今日のことも、僕の気持ちも、ぜんぶ見抜いて…。
 さっきあれほど泣いたのに、また涙がこぼれそうになった。見られたくなかったから、急いで二階に上がろうとしたけど、階段がよく見えなかった。
 部屋に戻ると、いつものように座布団を折って枕にした。
 誰にも言えないけど、僕には夢がある。
 時間を超えて旅をして、白亜紀の恐竜達に遭ってみたい。誰も知らない魔境を、空を飛んで冒険してみたい。地球を脅かす悪の異星人と戦うヒーローになってみたい。遠くの星に、友達を作りたい。どれも子供じみた夢だから誰にも言えないけれど、きっと叶うことはないけれど、なぜだかこの夢はいつまでも心から消えない。いつかきっと…。
「夢は叶うよ」
 僕は飛び起きた。誰だ、今の声は。ロボットみたいな声、いや、おばちゃんの声みたいだった気もする。確かに机の方から…。僕は引き出しを開けてみた。鉛筆がカラカラと転がってくるだけだった。でも、確かに聞こえた…。
「のびちゃん、聞こえてるの?ご飯できたわよ」
 ママの声だったのだろうか。耳をすましてみても、もう何も聞こえない。だけど、なぜだか耳に残る「夢は叶うよ」という言葉を胸にしまい込んで、僕は一歩、踏み出した。




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お前にくれてやる   (2005/11/24)
志米良ケンが交通事故に遭った。コミックバンド「ドリフトキングス」のメンバーとして、お笑い界の頂点に君臨した男だ。意識不明の重体だそうだ。
死ぬはずはない。志米良は最後の最後までギャグをかましてくれる男だから。
戦場へ行っても死ななかった。戦国時代も生き延びた。用をたしている最中にトイレが倒壊しても平気だった。家にパトカーが突っ込んでも笑って済ました。もちろん全部コントの中のことだが、そんな男が事故であっさり逝ってしまうなんて、あってはならない。
ニュースによると、志米良の乗っていた車に居眠り運転のトラックが突っ込んだらしい。志米良は仕事帰りだった。
俺の命をくれてやってもいいと思った。彼が死ねば国中が悲しむ。俺が死ねば、わずかの人間が泣くだけだ。
馬鹿なことを。そんなことできるわけが…。でも、もしできるのなら、俺の命を…。
後ろからクラクションの音。信号は青に変わっている。あわててアクセルを踏み込む。
ひどい事故だったのだろうか。本当に助かるだろうか。俺にできることはないけれど、助かってほしい。頭の中で事故現場を空想する。心配で運転に集中できない。気付いたら周りの景色が流れるのが速い。スピードをだし過ぎたのか? 交差点に近づく、信号が赤じゃないか。必死にブレーキを踏んだけれど、右から巨大なものが近づいてきて、車内は影に覆われて、全身を衝撃が走ったと思ったら、あたりは真っ暗になった。
なんだよ、俺もケンさんと同じ運命か。
死んだのかな。意識を失っただけ? あたりはとても静かだった。暗くて、ところどころに白い灯りが。
体は動くようだ。ここは? 
夜だ。夜の道路の脇で、街路灯をみながら、なんだかぼーっとしている。
交差点だ。俺の事故った…いや違う場所だ。知らない場所。でも、見覚えがある。ここは…。
「志米良ケンが事故を起こした場所だ」
背後からのその声に、びくっとなって、振り返る。
「ここは志米良ケンが事故を起こした交差点だよ」
黒い服のオッサンが立っている。
「オッサン、誰?」
「私か? まあ死神みたいなものだ」
「天本英世?」
「死神博士ではない!」
「じゃあ西村」
「なんだ西村って!」
「俳優の西村ナントカってのに似てるから」
「あんなハゲと一緒にするな!」
「オッサンもハゲてるじゃん」
「デコが広いと言ってもらいたい!」
なかなか、イジリ甲斐のあるオッサンだ。だけど、そんな事より…。
「聞きたいことがいろいろあるんだけど」
「やだ、お前には教えない」
「ケチケチしないでさ。ねえ、俺は事故に遭って、何、死んだわけ? ここ天国?」
「お前が行くのは地獄だろ」
「さっきケンさんが事故った交差点だって言ってたけど、確かに、ニュースで見た場所だよ」
「だからそう言っているだろう」
「つまり、それはその、よくわからないが、俺はとりあえず生きていて、ここはケンさんが事故った交差点なんだな」
「そうだ、正確には志米良ケンが事故に遭う交差点だ」
遭う、とはどういうことだ。
「私の仕事は、死者の魂をあの世に送り届けることだ」
そりゃ、死神だからな。妙に納得する。
「実は、今日一名死亡者が出る予定になっている。私はその魂を迎えに来たのだ」
「え、それって」
「志米良ケンだ」
そんな…。
「だが、助かる方法がある」
「どうするんだよ!」
「お前は志米良ケンの代わりに死んでも良いと思っているな」
「お、おう、大ファンだからな」
「そんなお前が、同じようなタイミングで事故に遭い、同じように死に瀕している。非常に珍しいケースだ。だから、選択の余地を与えてやる。志米良ケンが死ぬか、お前が代わりになるか」
言葉が、出なかった。確かに代わりになってもいいって思ったけど、だけど…。
「お前が決めるのは、志米良ケンが事故に遭うまでの間だ」
「ということは、今はケンさんが事故に遭った夜ということか?」
「そうだ、向こうにかすかに見えるヘッドライト、あれが志米良ケンの運転する車だ」
え、もう来てるのか。遠くにヘッドライトが見える。すぐ後ろをトラックがフラフラ走っている。
「衝突まで3分もない。早く決めろ」
上等だよ。ケンさんはお笑い界の王だよ。すでに神だよ。安いもんだよ俺の命で救えるならさ。
「俺はケンさんの代わりに…」
言葉が続かなかった。
「どうした?」
ケンさんの代わりに、死ぬ? 俺が…。そりゃ俺は、ケンさんみたいに有名人じゃないけどさ。
「どうするんだ?」
ヘッドライトが近づいて来る。早く言えよ。俺の命で助けるんじゃないのかよ。
「ケンさんの代わりに…」
言えない、どうしても。ケンさんは皆の人気者だけど、俺は人気者じゃないけど、俺のこと愛してくれる人も、少しだけどいるんだよ。その人のためにも、生きなきゃいけないんだよ。いや、そんなんじゃなくて、もっと単純に、死ぬのが、怖い。
車の音が聞こえてきた。死にたくねえよ。ケンさんだって死にたくないだろうけどさ、俺だって死にたくねえよ。俺は、俺は…。
だけど、ケンさんは死んじゃダメだ。そうだ。俺は力いっぱいに叫んだ。
「志米良!後ろ!」
声は、ケンさんには届かなかった。
重い衝撃音の後に、鼓膜を引き裂くような金属の摩擦音が続いた。
ケンさん、あんたはいつだってそうだ。セットが崩れてきた時も、いかりがはら長助が忍び寄ってきた時も、あんたの背後で便器から幽霊が出てきた時も、俺達は「志米良!後ろ!」と叫んだのに、あんたは決して振り返らなかった。だから、だから死んじまうんだよバカヤロー。
「身代わりになることはできなかったな。予定通り志米良ケンの魂を連れて行く」
「待ってくれよ。何とかならないのかよ。ケンさんは、皆が必要としてるんだよ」
「チャンスは与えたつもりだ。だが、お前はそれを生かさなかった」
「待ってくれよ西村。お願いだよ。ケンさんの魂持ってかないでくれよ。なあ、西村、助けてくれよ」
西村にすがりついた。
「私は西村じゃない」
そう言い残して、西村は煙のように消えた。
俺はグシャグシャになった車を見た。
「ケンさん、ごめん。ケンさん、ごめん」
ケンさんに申し訳なくて泣いた。自分の無力さに、自分の情け無さに、ただ泣いた。
泣いているうちに街路灯が消えたのか、意識を失ったのか、目の前が真っ暗になった。
悲しくて目が覚めた。病院のベッドだった。傍らで女房がうたた寝をしている。ずっとそばにいてくれたのだろうか。手を伸ばして、彼女の髪に触れると、目を覚ました。
「あなた?あなた?」
少しうなずく。
「あなた、私が分かる?」
笑顔でうなずく。
「よかった。一時はどうなることかと思ったんだよ。だけど本当によかった」
女房はうれし涙を流していた。俺が流している涙は、うれし涙とは違うけど。いや、うれし涙も流れてるかな。
ケンさんを助けることのできなかった俺だけど、ケンさんに捧げることを躊躇したこの命だけど、お前の命と、俺の命、どちらをとるかを言われたら、今度こそ迷いなく俺の命を捧げる方を選択できる。俺の命は、お前にだったらくれてやってもいいと思ってる。ほんとに、そう思ってるんだ。
ケンさん、あなたはもう死んでしまったのだろうけど、あなたのギャグは永遠に生き続ける。生きている俺達は、あなたのギャグを真似し続けるから。女房を喜ばすために、さっそく使わせてもらうよ。
俺はあごの下に手を持っていって、力いっぱいに叫んだ。
「アヰーン」
女房は笑ってくれるかと思ったけど、驚いて目を丸くしていた。そして病室を飛び出して、医者を連れてきてこう言った。
「先生、主人が目を覚ましました。だけど、変なんです。主人が、主人が変なおじさんになっちゃったんです」
それを聞いたらおかしくて、ふき出してしまった。そして、ケンさんのことを思い出して、涙がたくさんこぼれた。




テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学


ネームプレート   (2005/09/23)
 ホワイトボードに貼られたネームプレートのマグネットを裏返す。この職場に配属されてから毎日繰り返してきたことだ。
 1年くらいで別の職場へ、と言われていたのに、気付けばもう3年になる。身の回りの道具にも愛着がわいてきた。スペースキーのききが悪くなったパソコンのキーボードにも、すぐにゴミのたまるマウスにも、今私が裏返した、このネームプレートにも。
 会社に入って初めて配属されたこの職場は、何もかもが新鮮だった。中でもネームプレートは、出社した時に黄色い方を表にして、帰る時に白い方に戻すという行為が、いかにも会社員という感じで、俺もサラリーマンになったんだな、と実感させた。
 同じ名字の人が複数いた場合は、名前の後に「A」「B」と付けて区別している。鈴木A、佐藤Bといったように。なかには「吉沢S」なんて人もいた。吉沢だけで19人もいるのかと思ったら、そうではなかった。ひょっとしてこの職場では自分の性癖を発表しなければならいのかと心配してしまった。なにせ「S」だけでなく「M」もいたものだから、吉沢さんはSなのかと思ってしまった。自分の場合は「山本制服大好きメガネフェチ」なんてのを作られてしまうかとハラハラしたものだった。こんなのをホワイトボードにならべていって「川村ロリコン」「中西熟女最高」「石田男もオッケイ」「金田ストッキング狂レズ万歳」なんてなったら、それはそれで楽しいだろうと考えたものだった。実は「S」は主任の略で「M」はマネージャーの頭文字であるとわかって、ちょっと安心して、またガッカリもした。
 ホワイトボードには、休暇の「休」、徹夜明けの「明」、午前半休の「前」など、数種類のマークが用意され、ネームプレートの横に貼って自分の不在を知らせることができた。
 ユニークなものとして、煙草をデザイン化した「喫煙所で休憩中マーク」があった。しかしこれは煙草を吸わない私には関係無いので、面白くなかった。どうせなら、まきぐそをデザイン化した「便所で糞闘中もとい奮闘中」マークも欲しかったところである。
 そんな、ろくでもない妄想に彩られた思い出のあるネームプレート。今日まで雨の日も風の日も、私が会社を休んだ日を除いて、完全週休二日制で働いてきた。私が残業した時は、同じように黄色いままでがんばった。帰りに白い方にひっくり返した時は、ネームプレートまでもがホッとしているかのように見えたものだ。
 ここで働くのも今日が最後。ネームプレートを白い方に裏返すのも今日が最後。周りを眺めてみる。明日からここは「よその職場」、私は「よその人」だ。
 ネームプレートをじっと見つめる。もう俺達ここじゃ用なしだね、と言われた気がした。私は生意気言うなとばかりに指でピンとはじくと、そっとかばんにしまいこんだ。




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